昨日午後アパートの掃除。
積み上げてあった雑誌の位置を動かしゴミを捨ててかなりのスペースを確保。
そうか本棚が一つは必要だと考え帰宅後自動車で神戸港島のIKEAへ。意外に近いというか阪急電車ーポートラーナーで出かけるのとほぼ同じ時間で到着。ーということはここら辺の病院は就職先の候補ということかー
アメリカ時代に愛用していたPOÄNGも一緒に購入。家で組み立てようとしたら部品の一部に不良を発見。電話をかけたら受付時間を過ぎていたので今朝連絡したところ、該当部部品のみ配送交換してもらえそう。
オペレーターの方が機関銃の様にしゃべっていました。
臨床医学に一例報告というものがあります。何であれ頻度は低いが新奇性が高いまた教訓となるような内容を含んだ報告です。医局のカンファレンス、研究会・学会、また論文として発表されることもあります。
その中には
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複数菌の敗血症を反復した代理Munchausen症候群の1例
<要旨>
敗血症を反復した代理Munchausen症候群(MSBP)症例を報告した。患児は発症時7ヶ月の女児。下痢と発熱を主訴に入院した。入院後から複数菌による敗血症を反復した。腸管や免疫能に異常なく、同様の経過で死亡した姉の存在、後に判明した母親のMunchausen症候群の既往等からMSBPと診断した。母親による点滴回路の意図的汚染と考え母児分離した。母児分離後、患児の状態は著しく改善した。MSBPは医療機関への異常な依存であるが、その原因の一端に母親自身の不幸な成長過程や家庭環境が関与していると推察される。社会全体が育児をもっと高く評価し、家族機能を補完するような支援をしていくことが急務である。
(日本小児科学会雑誌 110巻5号 681~686 2006年)
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のようなものもあるわけです。
こういった一例報告ですが、学会レベル以上では新奇性が求められタダ単にまれな疾患をもった患者さんの報告というだけでは発表の機会を与えられないことが多くなってきています。
また実験医学の領域でもいわゆるnegative dataは通常雑誌に発表されることはあっても公刊されることは特別な場合を除いてはまれです。
Collective Intelligence(集合知)という概念があります。
代謝経路やシグナル伝達の知識なんて元々「集合知」(Collective Intelligence)。いろんな人が、いろんな組織や細胞種、さらには生物種で実験した「パッチワーク」。それらのデータの質をあまり吟味しないで「統合」するのも結構なのかもしれないが、それでは永続的には使えないだろう。典拠をしっかり示し、如何に分かっていないかが判るのも「データベース」の役割として今後求められるのではないだろうか。
というような考えに基づけば研究発表も新奇性だけにとらわれず何でもかんでもとにかく「データベース」に収録されないことには動き出さないということがあります。研究者の生の実験ノートで作られた「データベース」ができればとりあえず目的は達成なのでしょうか。とうことは無いだろうからむずかしい。
もちろん、ぱっと見では矛盾する事実が載っていることもあるかもしれない。単純化のレベルや立脚している仮説が違うとそうなるということがむしろ判る形の「データベース」。そういうものにしていくにはどうすれば良いのか?ただ、「集合知」で利用者の入力を促すだけではダメだろう。その辺、考えていきたい。
本当にうまい仕組みを考えてもらいたいものですというかこのような事を考える枠組みも必要ですね。
もっと考えた事もありますが今日はこれくらいです。
“Originally Collective Intelligence”(参照)に 触発されて書いてみました。
今上天皇が論文を公刊したとの新聞報道がありましたがこんな考察を発見。負けるわけにはいかないと思ってしまいました。
これからは”統合”か、キーワードは。



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