ネットで評判のページです。
1987年の文章とは思えない今日性を持っていると思います。
大学院は必読です。
- 心を鍛えることが最大の防御
- 定期的に論文を出せ。しかしやり過ぎるな
すこし引用します。
だから、「完璧な」論文などできないのだと悟らなければならない。なんにでもそうであるように、欠陥はかならず見つかる。あなたが得ることのできる限られた時間、お金、エネルギー、励まし、思考の範囲内で、できるかぎり良いものをつくるようにすることだ。
いつもぼくが思っていることです。(参照:「でもしかたない。与えられたものでやっていくしかない。」)
論文を出さないといけないというプレッシャーは、ジャーナルの質も知的な生活の質もダメにしてしまいつつある。すぐ忘れ去られるような小さな論文を次々と出すよりは、質が高く広く読まれる論文をいくつか出すというのがずっとよいのだ。現実的にならなければいけない。ポスドクの地位を得るために、そしてさらに大学に職を得て、さらにテニュア(終身在職権)を得るためには、論文を出してないといけないだろう。しかし、本当に質のあるまとまりとして研究を組み立ていければ、それは自分にとっても研究分野にとっても良いことをしているのだ。
ほとんどの人は、本当に重要な論文をほんの数本しか書いていない。多くの論文はほとんど引用されないか全く引用されない。10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ。引用されない論文は時間と労力の無駄だ。量ではなく質を高めよ。これには勇気と粘り強さが必要だが、決して後悔はしない。年に一本か二本、考え抜かれた、重要な論文を査読のあるよい雑誌に出すならば、それで十分きちんと仕事をこなしていることになる。
「10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ」って真実だと思います。引用されない論文は「産業廃棄物」と同じです。また,「年に一本か二本」も重要です。論文0だと何とも評価できません。
ホームランを打ち続けることは限られた人というか恵まれた研究グループにしかできません。
そうでない人は確実にヒットを打って出塁してたまには二塁打,すごくいくとランニングホームランがでたら儲けものだと思っています。
最近出版されたホームラン級の研究を二つ。
- A Mechanism for Gene-Environment Interaction in the Etiology of Congenital Scoliosis
Cell, Volume 149, Issue 2, 295-306, 05 April 2012 - Adora2b-elicited Per2 stabilization promotes a HIF-dependent metabolic switch crucial for myocardial adaptation to ischemia
Nature Medicine (2012) doi:10.1038/nm.2728
すばらしいですね。
脱帽です。
バイオパンク―DIY科学者たちのDNAハック!
とう本が出版されています。パンクはpunk rockのpunkです。
21世紀はバイオだ。バイオを大学の研究室からハッカーの手へというコンセプトを実例を挙げて紹介しています。
“Tinker”という言葉がカギです。フランス語に「ブリコラージュ」(Bricolage)という言葉があります。それをする人を「ブリコルール」(bricoleur)と云うのですが本書では,tinkerにはそれと同等の意味を持たせています。
自宅のキッチンでというのはなかなか難しいですが,研究はやろうと思えばどこでもできます。大学でないと研究ができないというのはアイデアと実行力が足りないと自分で言っているようなものです。ただ廻りに理解者は必要だと思います。
この本すでにぼくの基準では今年のベスト3入り確定です。
Amazonでは品切れですね。ぼくはkindle版を買いましたがkindkeでも$16.35もします。英語は平易で普通に理系の人達にとって読むのに何の不自由も無いと思います。
久しぶりのまとまった雨です。
今日は,御大のtweetをネタに書いてみます。
やはりデータへの自信は本人が相手にしゃべるときに自然にでるものです。
これってぼくが院生にいつも言っていることと似ています。
ぼくは院生が実験するそばに始終いてすべてをつぶさに監視しているわけではありません。
基本的には週に一回のデータ検討会で彼らにデータを供覧してもらい議論をするだけです。
眼の前のデータはほとんどの場合いわゆる生データですがその時点ではグラフになっている場合もありその場合生データをぼくが見ていない場合もあります。
Westernが汚いかキレイかはすぐに解りますが今眼の前にあるデータがどれくらいの確度のデータかは実は実験をした本人以外には解りません。確度というのはわかりにくいかもしれませんが,要するにどれだけ本人が自信を持っているかと言うことです。常識に反していようが本人が自信を持っているデータであればこれは考慮する必要がありますしそこから発見が生まれます。自信を持っているデータのわずかな差異は後々重要な差となり論文のつながります。ここでぼくと対峙できればもうぼくなど必要でありません。自分で実験を進めていけばよいのです。
自信があれば本当のか、自信がなければ間違いか、そういうことは必ずしも言えませんが、データの説明はできるだけ目の前で見背ながら示すものです-そのまま引用しました-
とも言えます。
石坂公成先生(以前ぼくが在籍した研究ユニットの顧問をしていただいていた関係で何度か直接お話しさせていただいた事があります)が以前免疫学会のニュースレターに書かれた文章があります。何編かシリーズでお書きになっていた時期がありましたがその中で感銘を受けたのは「プロの研究者の育成を真剣に考えよ」の回です。
部分を引用します。
われわれのコースでは,学生がすべての講義と試験を終えて自分の指導教官について実験を始めた後,生化学者や分子生物学者を含む数人の教授による口頭試問を行っていた.この試験の目的は,その学生がPhDをとってプロの研究者になり得るかどうかを判定するためである.講義の内容は覚えており,器用に実験をしていても,自分が何をしているかわからないで実験しているような学生はマスターで放り出してしまう.研究者たるものは,何故キットが働くか知らないでそれを使うべきではないし,自分が追求している蛋白を SDS-PAGE で検出するためには,どの程度の蛋白量が必要かを知ったうえで実験を組まなければならない.われわれは,そのようなことが,independentの研究者になるためには大切なことだと信じていたので,一人ひとりの学生をしごいて,それについてこれない人には辞めてもらったのである
特に,
研究者たるものは,何故キットが働くか知らないでそれを使うべきではないし,自分が追求している蛋白を SDS-PAGE で検出するためには,どの程度の蛋白量が必要かを知ったうえで実験を組まなければならない.
漫然と100µgの蛋白質を載せればそれでよいというわけではないのですね。
個々の実験にはたとえ予備実験であってもその実験の課題がありそれが満たされない実験は実験として成り立ちません。このような事が考えられるようになることがまず第一歩なのです。
実験など基本的には右のものを左に移しているだけなのですからよほど不器用な人でなければいくらでもキレイな結果を出せるはずです。
このような事が自分で考えることが大学院の期間中にできるようになれば,その学生が将来的には基礎研究者として立たなくとも大学院教育の課題のうちの幾分かは達成されたという風に考えています。こういったことのできる学生を育てることが大学院の教員の務めです。それができなない教員は教員の名に値しません。
若い研究者がそのような行き方が出来るか否かは、理論(常識)からのdiscrepancyを見逃さない修練を積んでいるかどうか?そして、自分のデータが間違いか真実かを実験的に見極めるためにはどうしたらよいかを考える習慣がついているか否かにかかっていると思う。
この部分も重要です。
自分のデータがそこにあるとしてそれをどう検証するかを常に念頭に置いて実験を組み立てること。つまり目の前のデータから導き出される結論を列挙してその結論が”真”であるとするした場合にある実験を行った場合に論理的に整合性のある結論が得られる場合眼の前のデータは真実を語っていると判断していくというような思考のやり方を身につけるということです。
結局論文の構成というのは実はこういったことです。どんな論文でもまず”Figure1″がありその他のデータはすべてそれを補強する材料として存在します。論文の論点は常に一つです。
今日はここまでです。
理系のためのクラウド知的生産術 (ブルーバックス)
注文しています。結構期待しています。
明日か明後日に着くと思うのですが…