お知らせ
ブログを新しいドメインに移行していきます。
新しい場所は
です。
一見にどこが違うんだと言うくらい外見は似ていると思います。エントリーも移行しました。この作業に日曜日2時間も費やしました。
9月中は現行のブログも同時更新していきますし,少なくとも一年間は現行のブログの手入れはおこなおうと思っています。
この数日で明確に秋がやって来ました。 このような変化は一晩で現れるところが面白いです。
こういう現象は,まるで,ある「進化の理論」の顕れのようだといつも思います。
映画「夢売るふたり」
日曜日に大阪駅の映画館で家内と「夢売るふたり」を観ました。
封切り二日目でしたが観客の入りはお世辞にもよいとは言えませんでした。
結婚詐欺の話なのですが松たか子さん演じる主人公がことさらにえげつなく撮られていてびっくりします。食パンを貪るシーンがあるのですが鬼気迫るものがありました。
少しいろんな要素が詰め込みすぎではないかとも思いましたがたぶん見返すとすごくたくさんの発見があるのだと思います。
実は「ディア・ドクター」をこの映画を観た後に観返したのですがちょっとびっくりするくらいいろんな発見をしました。
観終わったあと家内と喧嘩してしまいました。
本の紹介
「がんと代謝」
羊土社から実験医学の増刊号「実験医学増刊 Vol.30 No.15「がんと代謝」」が出版されました。ぼくも一部担当させてもらいました。
概要と詳しい目次を観ることができます。(参照)
この分野でこれほど集中的に記述された日本語の総説集は現時点では他にはないと思います。
「40年後の『偶然と必然』: モノーが描いた生命・進化・人類の未来」
「40年後の『偶然と必然』: モノーが描いた生命・進化・人類の未来」を読みました。 モノーの「偶然と必然」がこの40年の間にどのように受容されてきかたを考察した労作です。 生命倫理を除いてもいまでこそこのような生物学を巡る哲学的な考察は花盛りですが当時は「偶然と必然」が決定的に重要な役割を果たしていてぼくも大学生の時に読みました。
思い返してみると何をこの本から何を学んだかについて明確な記憶がありません。
モノーが提唱した様々な論点はここ30年くらいの間に次々と解明されてきて,彼の問題意識や「予言」も柔軟な解釈によれば全て的を射ていたとは言えると思います。
そう簡単な内容ではありませんがぼくは十分楽しめました。
医学書院が週刊で発行している「医学界新聞」という新聞形式のマガジンがあります。
毎週送ってくれるのでついつい読んでしまいます。
医学教育に力点を置いた記事が多く読むと為になるものが多いです。
最新号に長谷川 耕平さんと飯村 傑さんの「 M&Mカンファレンスで医療の質“カイゼン”を始めよう!!」という対談が掲載されています。
日頃考えて実践していることと余りにも合致していて感動したので医局の同僚にも勧めました。
ぼくがやっていることはたぶんやり過ぎだと思われていると思うのですが米国ではごく普通に日常的に行われていると知って安心しました。
「M&M(mortality & morbidity)カンファレンス」とは
死亡症例や重大な合併症を来した症例を題材として,悪い転帰に至った原因を医療システムや環境・組織レベルであぶり出し,次の失敗を回避することで医療の質向上をめざすカンファレンス
のことです。
ぼくらの麻酔科でも例えばインシデントレポートが提出されたような症例,予定外にICU入室となった症例は特にM&Mとして症例報告をしてもらい皆で検討するという取り組みは行っていますが当事者に報告を任せるため議論が低調になりがちです。つまりインシデントが起こったという前提から出発しているので当事者には負い目があるし議論する側には問題点を鋭く追及しすぎると当事者を個人的に責めることにつながると考えてしまうからです。
このような負の部分を乗り越えてM&Mが行われるような麻酔科ができればこれは素晴らしいことになると思います。
以下に印象に残った発言を引用します。
長谷川 悪い予後が起きる場合,通常一つの失敗だけが原因となることはなく,複数の穴をくぐって致死的なエラーが生じることがわかっています1)。日本では,「私の力不足です」と非を認めることが“責任を取った”と評価されることもありますが,そこで思考停止に陥らず「エラーの原因は何か,システムに穴があったのか」まで議論を進め穴を同定し,その穴を埋めるよう行動しなければ再発防止にはつながりません。
これはすごく重要な視点です。「私の力不足」と言われるまたは思ってしまうとそこから先には進めません。
飯村 現状を知ることは医療の質改善を行う上での第一歩です。ピーター・ドラッカーも“What gets measured gets managed”と表現しているとおり,自分たちの医療がどこに位置しているかを把握して初めて改善につなげられます。当院では,ジョイント・コミッションのプロトコールに則って各科のデータを測定していますが,情報不足で出せない指標もあり,どこにデータの不備があるかようやくわかってきたところです。
麻酔なら麻酔の結果を最終的には患者満足度まで含めて評価していく事が必要だと思います。新薬が発売されてまた末梢神経ブロックなどが導入されてその前後で自分たちの麻酔がどのように変わったかまた麻酔の結果がどのように変化したかを意識的に把握しないとそれだけに終わってしまいます。重要なのは他人が出したエビデンスではなく自分の病院の自分の患者に対してどれだけの事ができたかです。
長谷川 M&Mにはいろいろなスタイルがありますが,ブリガム・アンド・ウィメンズ病院(BWH)では準備と当日の司会をチーフレジデントが持ち回りで担当する形式で行っています。担当者は,M&M専門の指導医と何度もミーティングを重ね,「システムエラーはあるか」「標準的治療から外れていないか」という観点から取り上げる症例を選定します。
これは「目から鱗」ですね。当事者には報告させないというのはよい方法だと思います。重大なインシデントの場合,さまざまな職種の現場に関わった人に聞き取りを行います。当事者の思い込みも明らかになることもあります。客観的な事実に基づき自由な討論ができればM&Mの効果も上がると思います。
*長谷川 *米国の医療者は他者がどんな治療を行っているか厳しく見ており,標準的な治療から外れ突飛なことを行っている医師は「根拠があるのですか」と指摘されます。M&Mには,その施設の医療水準を保つ目的もあります。
思いつきであれこれ患者に働きかけるのは倫理的にも大問題です。がんこな医師が自分の方法に固執して成果が上がらないのは現代的な観点からは非常に困った事になります。
ぼくは職場のデイサージャリー診療部で行われる麻酔科管理症例については麻酔記録と術後の患者インタビューの結果を全て閲覧しています。「標準的な治療から外れ」たような麻酔管理があれば個別にお話を担当医師に聞かせていただくこともありますし全体的な問題と思えば皆に議論をお願いしています。
長谷川 M&Mは,研修医はもちろん指導医も身が引き締まり勉強になります。私の施設では M&Mにはほぼ全員が参加しています。
こういった麻酔科になるとよいと思います。
iPhone5が発表されました。
目下の焦点はテザリングか可能になるかどうかです。詳細が出れば4Sユーザーですが機種変更しようと思います。 room324では皆これで浮き足立っています。
家内とのけんかも実はこれが原因でした。
ここ数年朝遅くまで寝ていることができなくなっています。
日曜日でも遅くとも7時には起きて活動を始めてしまいます。何も無ければ午前中は駅前のスタバ-徒歩10分-で仕事をします。休日は8時から開いているのですが一番乗りと思っても大抵人が何人かいます。9時,10時と遅くなるに従ってどんどんと席が埋まり11時にはほぼいっぱいになります。長居を決め込んでいる人も相当の割合いてあれで儲かっているのかこちらが不安になります。阪急池田のような田舎でもそうなのですから都会は大変そうです。
日曜日の午後久々に家内と映画館に行きました。たぶん数ヶ月ぶりです。大阪駅の映画館で観たのは「ローマ法王の休日」。 イタリア映画です。こんな映画がよく公開できたなと思います。カトリック教会も随分鷹揚だと思いました。
病気療養中の法王が亡くなったので選考会が開かれたのですがなかなか決まらない。何度かの投票にしびれを切らした枢機卿達は無難な候補に票を集中させて新法王が選出されたのにその法王が…という内容です。
「偉く」なりたいと思う人はいくらでもいると思いますがそうなりたくない人もたぶん同じくらいの数いると思います。
日本の天皇は選考されてなるのではなく生まれた瞬間にそうなることがほぼ決まってしまいます。あの人達が極端に頭が狂わず一生をまっとうできるということはそれはそれで考察に値することではないかと思います。
日本には「位打ち」という呪詛の一形式があるそうです。(参照)
人間の進歩について 小林秀雄全作品〈16〉 論文の捏造が話題となっています。
小林秀雄に「真贋」という文章がありり以前にこのブログでも紹介したことがあります。(参照)
査読に廻ってくる論文をその論文の枠の中だけで「真贋」を見分けるのは容易ではありません。データが気持ち悪いくらいにそろいすぎていて妙だ思ってもそれを理由にその論文を否定することはできません。実験データを全て提出してもらえば解ることもあるのでしょうが論文一つでいちいちそれをやっていたら収拾がつかなくなります。余りに汚いデータの論文を見るとウソはついていないのだろうと思いますが汚すぎて結論が導き出せるはずがないと判断しなくてはいけない場合もあります。
実はこの小林秀雄の小文も実は事実と微妙に異なるようです。(参照)もちろん小林秀雄が話が面白くなるように脚色したのでしょう。 日曜日に湯川秀樹と小林秀雄の対談「人間の進歩について」を読み返しました。 すごく新鮮で示唆に富む対談だと再認識しました。
昨日はイチローの移籍ですごく盛り上がっていました。
新聞報道によれば彼は
「20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではない。マリナーズのユニホームを脱ぐのは難しい決断だったが、環境を変えて刺激を求めたい気持ちになった」
というような事を話したそうです。
余りに長い間一つの組織にいるのはよくないと考えています。医者になってから長くとも3年で職場を変わってきたのですが今回はすでに8年目です。若い先生方主体の教室になるのがよいと思います。
自分を何からの理由で積極的に必要としてくれる職場に移れればそれはそれで幸せな事だと思います。
New York Timesによれば
“I came over here wanting to be a help and help this team win,” he said through an interpreter. “Whatever order that is, whatever position it might be, I am here to contribute.”
こんな気持ちです。
Mountain Lionのダウンロードが進まないので今日はあきらめました。
日曜日に紀ノ国屋で幼少の帝国: 成熟を拒否する日本人を立ち読みして買おうと思ったのですが止めました。
家に帰って,amazonで見てみたら古本がすごく安く出ていたのでそれを注文しましたー結果としてほとんど新品の本が送られてきましたー。
これ面白いです。第四章では高須クリニックの高須先生が登場して熱弁を振るっていました。
連休最終日は日・当直です。
午前中に仕事が済んで午後から研究室にいて雑用をこなしていました。夕ご飯を食べ過ぎてさすがに電池切れで集中力が無くなってきました。
昨年は何をしていたのかと思ってカレンダーを見なおしてみたらこの期間に二回くらい当直していました。
昨日,久々に映画館に行きました。
「ルアーブルの靴磨き」という映画で超満員で立ち見の人も多数いらっしゃいました。あの映画館があんなに入ったのを見たのは初めてでした。
New York Timesに
A Sharp Rise in Retractions Prompts Calls for Reformという論説が掲載されていました。Carl Zimmerによる文章です。さすがに読み応えがあります。
しかし,そもそもこういった問題は,制度の改善によって克服できる問題なのでしょうか?
ぼくは,こういった問題は研究者という職業が成立している以上無くなることは無いと思っています。
論文となっている研究成果も「話半分」とぼくは,思っていることもあります。学会・研究会での質疑応答の過程で「何か変だな」と思うこともあります。質問をいつもはぐらかす人がいて,その人(達)の研究成果は割り引いて考えるようにしています。ぼくの研究が,逆にそう思われいることもあるかもしれませんがこれは仕方ありません。
皆に嗤われるかもしれませんがぼくの行う基礎研究の目的は「世界観の変革」です-今日も大学院生にそう話したらすこし引かれました-。つまり,他人の考え方や行動に影響を与えるような成果を世に問うことを研究の目標としています。「バタフライ効果」を狙っています。そのためには少なくとも研究成果が他人の目に触れるような形で発表される必要があります。学会での発表もその一つですが,不十分です。すくなくともMedlineに収録される形で発表したいと思います。なので行った研究は論文としてまとめたいと思うし,そうなるように仕向けていきます。negative resultを報告する目的でpositive resultsを抱き合わせることもあります。
どの雑誌に発表するかは常に意識していますが,気にしても仕方ない場合もあるので,すんなり掲載してくれる雑誌を選ぶことが多いです。
今現在ではそんなことを気にする必要のない立ち位置に自分がいるということもあります-求職中だとかそういった立場にはいないし,大型予算をもらって見合った研究成果を出す日宇用があるというような立場でもありません-。院生の皆にはその点で迷惑をかけているかもしれません。ぼくがもう少しじっくりと構えてまたもう少し聡明であればもっと「上の」雑誌を狙うことが可能だったかもしれないからです。
しかし,目標・目的はどうであれ,実験医学にはお金がかかります。このための資金をどこかから調達する必要があります。特別な場合を除けば,「実績」-要するに査読付きの論文です-がないと調達に失敗します。特に公金が研究資金の場合は,普通の研究費であればあるほど課題採択には,コネなどはほとんど役に立たず,客観的な根拠が必要です。
「実績」にもランクが存在します。雑誌でも査読の有り無し,査読がある雑誌でもいわゆるimpact factorの高低などが問題になります。日本語の商業誌にいくら論文があっても無いよりはよいかも知れませんが査読付きの論文数がある程度の数なければ研究費の獲得には支障が生じます。学会の招待講演やランチョンセミナー何度講演をしても日本学術振興会の科学研究費の申請には記入する欄すらありません。
結局,「実績」として論文が必要なのです。
ここで振り出しに戻りました。
ArXivのようなサーバーに論文が登録されつまり論文を出したい人は一定の形式を満たせば研究を世に問える,その後の研究の評価は業界に委ねるというというような制度になっていくつまり「Faculty 1000」とかSNSでの評価などで研究をある程度の期間を経て評価するような仕組みに移行するしか「解決法」はないのではないと思います。
ちょうどNew York TimesにScience and Truth: We’re All in It Togetherという論説が出ていました。
少し前からある日本の麻酔科医の行った一連の研究が物議を醸しています(参照)。日本麻酔科学会でも調査委員会を作ったそうです(参照)。
(英文の声明も出ていますが,何を言っているのかわかりにくい文章ですね。)
学会にどのような調査権があってどのような調査ができるのかは不明ですが,全体像の整理などは行う事は可能なのでしょうか。障害はこれ以外にもたくさんあります。例えば10年前の研究について記録がどれくらいしっかりと残っているかどうかも不明です。
学会の規定に
理事会は,第3条に規定する行為をなした疑いのある会員の存在が判明したときは,直ち
に当該行為に係る調査特別委員会を設立し,その事実の有無,内容,程度,状況等を調査
させなければならない
とあるのですがこれを受けての設置なのでしょうか。
その結果,
研究者あるいは医師としての社会的モラルや品位にかける行為であり,それがこの法
人の名誉および社会的信用に影響を及ぼすおそれがある行為
であると認定されると処分される可能性がでてきます。
最高のランクの処分は「除名」です。
JAMAに以下の様な論文が掲載されていました。
Characteristics of Clinical Trials Registered in ClinicalTrials.gov, 2007-2010
無数の臨床研究が行われているわけです。ClinicalTrials.govに登録されているような「しっかり」していると思われる臨床研究でさえこういう実態なのですからぼくらがちょっとやってみる臨床研究にどんな意味があるのかはよく考えないといけないことだと思います。
集中治療医学会から「日本版敗血症診療ガイドライン(案)」が発表されていて時間があったので眼を通してみました(参照)。有名な2008年のガイドラインとどこがどう違うのかなどについてまとめた表などがあると助かると思いました。ぼくのような不勉強な人間には一読してそれがわかるようにしてもらいたいです。
臨床上のすべてのエビデンスは自分の眼の前の患者に対して有効かどうかを自分で決める必要があります。このガイドラインを聴衆の前で「解説」解説することはそう難しくないと思いますが,手術室・集中治療室で患者に適応することはそう容易ではないと思います。
「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」
ということになります。
このようなガイドラインを前にしてぼくらが取る態度としてこのtweetのような健全な感覚は持ち続けたいと思います。
水村美苗さんの「母の遺産―新聞小説」を読みました。堪能しました。