新年4日の当直で身も心もずたずたになり数日間ボーッとしていました。

NEJMからです

Arterial Blood Gases and Oxygen Content in Climbers on Mount Everest

エベレスト登山に挑んだ登山者の血液・ガス分析を行い頂上へいたる旅程中の変化を観察したという報告です。

測定高度は

海抜75m, 5300m, 6400m, 7100m, 8400mの5点。被験者はそれぞれ10人、9人、9人、6人、4人です。

被験者は21G cannulaを橈骨動脈に留置され動脈血をサンプリングされたようです。無酸素登山ではありませんが、測定点では”無酸素”です。ぱっと読んだだけで何日かけて登頂したのかの記述が見つけられませんでした。

被験者数がすくないので個人差などを論じるのは不適当なのかも知れませんがこういったものは本来結構個人差はあると思います。登頂できた登山者はそれなりに順応力が備わっているので差が出にくいのかも知れません。

予想通りの結果が報告されているのですがエベレスト登山というkey wordが重要なのかも知れません。

低酸素研究者、麻酔科医は一度は読んでおくのがいいと思います。ネタというか蘊蓄となります。

こういった低酸素を低圧性低酸素というわけですが、群馬の齋藤先生のよい総説がLiSAにあります。

低圧性低酸素環境への挑戦 

群馬大学大学院医学系研究科 麻酔神経科学部門 齋藤 繁

今度のiWorksどうもEndnote対応のようです。

いよいよMS. Wordとおさらばできるのでしょうか。

Tagged with:  

“ヒトゲノムを解読した男 クレイグ・ベンター自伝” (J・クレイグ・ベンター)

(参照)

タイトル通りの内容

生い立ちの記述は少なくほぼいきなり衛生兵として参加したベトナム戦争の体験から始まる。1946年生まれでこのような世代なのだ。

ヒトゲノム解読における”公的チーム”ー米国政府の出資による解読チームーとの競争に多くの記述がさかれている。所々かなり辛辣な批判はありますが原文を参照したわけではないのでニュアンスはよく解りません。

最終章は”青い惑星と新しい生命”と題されていて彼らの最近の活動が紹介されています。

D. G. Gibson, G. A. Benders, C. Andrews-Pfannkoch, E. A. Denisova, H. Baden-Tillson, J. Zaveri, T. B. Stockwell, A. Brownley, D. W. Thomas, M. A. Algire, C. Merryman, L. Young, V. N. Noskov, J. I. Glass, J. C. Venter, I. Hutchison, Clyde A., and H. O. Smith. Complete chemical synthesis, assembly, and cloning of a mycoplasma genitalium genome. Science, 319(5867):1215–1220, 2008.

この論文はその最新の成果の一つだと思います。生命体のゲノム配列を化学合成したというものすごい話です。

基礎生物学の到達の一つの頂点だと思います。材料を与えられて例えば細胞を一つ作り出せたらもっと話を進めれば眼や肝臓を化学的に作り出すことができればこれをもって細胞、眼、肝臓をヒトが完全に理解したといってもぼくはよいと考えています。-生物的につくる計画は着々と進んでいるわけですが..-

所々挿入される囲み記事は、自らの遺伝子配列ー彼のゲノム配列は公表されています。ヒト個体完全ゲノム情報で、二倍体ゲノムのすべての相同遺伝子を含んでいますーに基づく遺伝子談義です。 p215では Klotho が取り上げれれています。記述は正確ではありません。-他も推して知るべしか- しかしここまで細かいところは無理だろうな。そもそもあまりおもしろくありません。

全体として、ベンター氏の具体的な考え方がしっかり示されていて為にもなります。

教科書として使われてもいいかもしれません。

ワトソン氏の “The Double Helix”よりはおもしろいと思います。イヤみも無いし。

原文を参照したわけではありませんが訳文で引っかかる部分はありません。よい翻訳だと思います。

というわけで2009年もよろしくお願いします。

Tagged with:  

昨日午後アパートの掃除。

積み上げてあった雑誌の位置を動かしゴミを捨ててかなりのスペースを確保。

そうか本棚が一つは必要だと考え帰宅後自動車で神戸港島のIKEAへ。意外に近いというか阪急電車ーポートラーナーで出かけるのとほぼ同じ時間で到着。ーということはここら辺の病院は就職先の候補ということかー

アメリカ時代に愛用していたPOÄNGも一緒に購入。家で組み立てようとしたら部品の一部に不良を発見。電話をかけたら受付時間を過ぎていたので今朝連絡したところ、該当部部品のみ配送交換してもらえそう。

オペレーターの方が機関銃の様にしゃべっていました。

臨床医学に一例報告というものがあります。何であれ頻度は低いが新奇性が高いまた教訓となるような内容を含んだ報告です。医局のカンファレンス、研究会・学会、また論文として発表されることもあります。

その中には

複数菌の敗血症を反復した代理Munchausen症候群の1例

<要旨>

敗血症を反復した代理Munchausen症候群(MSBP)症例を報告した。患児は発症時7ヶ月の女児。下痢と発熱を主訴に入院した。入院後から複数菌による敗血症を反復した。腸管や免疫能に異常なく、同様の経過で死亡した姉の存在、後に判明した母親のMunchausen症候群の既往等からMSBPと診断した。母親による点滴回路の意図的汚染と考え母児分離した。母児分離後、患児の状態は著しく改善した。MSBPは医療機関への異常な依存であるが、その原因の一端に母親自身の不幸な成長過程や家庭環境が関与していると推察される。社会全体が育児をもっと高く評価し、家族機能を補完するような支援をしていくことが急務である。

(日本小児科学会雑誌 110巻5号 681~686 2006年)

のようなものもあるわけです。

こういった一例報告ですが、学会レベル以上では新奇性が求められタダ単にまれな疾患をもった患者さんの報告というだけでは発表の機会を与えられないことが多くなってきています。

また実験医学の領域でもいわゆるnegative dataは通常雑誌に発表されることはあっても公刊されることは特別な場合を除いてはまれです。

Collective Intelligence(集合知)という概念があります。

代謝経路やシグナル伝達の知識なんて元々「集合知」(Collective Intelligence)。いろんな人が、いろんな組織や細胞種、さらには生物種で実験した「パッチワーク」。それらのデータの質をあまり吟味しないで「統合」するのも結構なのかもしれないが、それでは永続的には使えないだろう。典拠をしっかり示し、如何に分かっていないかが判るのも「データベース」の役割として今後求められるのではないだろうか。

というような考えに基づけば研究発表も新奇性だけにとらわれず何でもかんでもとにかく「データベース」に収録されないことには動き出さないということがあります。研究者の生の実験ノートで作られた「データベース」ができればとりあえず目的は達成なのでしょうか。とうことは無いだろうからむずかしい。

もちろん、ぱっと見では矛盾する事実が載っていることもあるかもしれない。単純化のレベルや立脚している仮説が違うとそうなるということがむしろ判る形の「データベース」。そういうものにしていくにはどうすれば良いのか?ただ、「集合知」で利用者の入力を促すだけではダメだろう。その辺、考えていきたい。

本当にうまい仕組みを考えてもらいたいものですというかこのような事を考える枠組みも必要ですね。

もっと考えた事もありますが今日はこれくらいです。

“Originally Collective Intelligence”(参照)に 触発されて書いてみました。

今上天皇が論文を公刊したとの新聞報道がありましたがこんな考察を発見。負けるわけにはいかないと思ってしまいました。

これからは”統合”か、キーワードは。

Tagged with:  
madeonamac.gif Creative Commons License