小林秀雄の実質的なデビュー評論は「様々なる意匠」です。
当時の日本文学に存在した「様々な意匠」をおちょくりながら,文芸評論家としての自らの立ち位置を既存の明らかにしたものです。むちゃくちゃ力が入っていて少し難解というかその当時の文壇の事情を知らないぼくには理解が出来ない部分もありますが,何十回も読み返してそのたびに考えることがあります。
初期にはXへの手紙・私小説論 (新潮文庫)で読んできましたが現在は小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠で読んでいます。
文芸評論にくらべたら科学評論は難解かもしれないが単純のように思えますが,個々の論文の評価をリアルタイムにすることはそう単純ではありません。「様々なる意匠」は一回は読んでみる価値のある評論だと思います。
今調べてみると過去にもほとんど同じ事を書いていましたね。ボケがはじまっているようです。

R0010997

患者さんの麻酔後診察をします。
日帰りで帰宅した患者さんは電話インタビューをします。一泊それ以上の入院をする患者さんについては病棟を廻るということになります。平日は看護師さんにお任せしますが土曜日・休日には医者が廻ることになりぼくが担当することもあります。合い部屋の患者さんに根掘り葉掘り聞くのは控えているのですが個室の患者さんとはいろんな事を30分くらい話すこともあります。
ご自分の疾患について質問を受けることもあります。主治医でも無いので適当に答えるしかありません。医療体制への批判とか患者さんのアイデアとかの他に過去に受けた手術・麻酔との比較を話してくれる患者さんもいます。
質問項目は30個くらいあるのですが,必ずお聞きするのは「思ったより楽だったのかしんどかったのか」と云うことです。ほとんどの方は思ったより楽だったとお答えになるわけです。これで満足するわけです。
皆さんが気にすることの一つは「点滴を失敗された」とか「点滴のあとがい痛い」です。重大な事なんですね。必ず一回で確保するように皆で心がけています。デイ・サージャリー診療部では24Gの留置針を使う場合も多いです。輸液するというより麻酔薬,抗生物質の投与ルートなので細くとも何の問題もないことがほとんどだからです。
最近,ぼくらの病院ではテルモ社のある留置針が導入されました。手術室は除いた病棟で採用となったのですがデイ・サージャリー診療部の手術室は病棟と同じものをつかっているので9月から導入されました。
これがなかなか優れものなのです。どうよいのかは使って見れば明らかです。ぼくら麻酔科医に取っては大きな事でも無いような気もしていたのですが使って見るとこれが便利で最近はこの留置針を使わないと調子が狂うまでになりました。
大学院に入学するときに今は亡くなった恩師に「あんた自分の研究がすぐに患者の役に立つだのとかゆめゆめ思いなさんな」と云われました。役に立つとかそういった観点で行う研究には碌なものが無いというのです。もちろん例外はあります。ピロリ菌により胃疾患への関与など研究が直接のきっかけとなり医療を変えたものもあります。iPS細胞のような例もあります。
先生の主張は,医療というものは,別に研究室の研究などによらずとも日々現場で進化していると云うことでした。組織的に行われる場合もあるでしょうし,個人的な学びなどから現場での医療は進化すると云うことです。留置針の進化というのはぼくにはその好例に思えます。学生の臨床実習でも留置針の進化を例に挙げてこの恩師の考えは披露しています。

R0010993

NHKのテレビ番組に「新日本風土記」というのがあり毎回録画して観ています。少し前に「遠野」を題材とした番組が放送されました。
普通のおばさんが,廃校後で「見た」女の子のために毎日朝ご飯を用意しているんですとこともなげに話しているのです。
まさに,小林秀雄が信ずることと知ることとか感想で語っている世界が現代の日本にもあるのですね。うれしくなってしまいました。

R0010989

医学と仮説――原因と結果の科学を考える (岩波科学ライブラリー)
これ多分タメになりますよ。

医学と仮説――原因と結果の科学を考える (岩波科学ライブラリー)

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠
Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)

Tagged with:  

当直も完徹が二回続くとどんどん疑心暗鬼になってきて今日も寝られないのではないかというストレスにさいなまれます。

ホントに完徹すると脳内の分泌物が出っぱなしになって最低一日は妙な気分が続きますね,精神的に。

駅で村上龍さんの「無趣味のすすめ
」が文庫本になっているのを見つけたので買って電車の中で読んだ。確か,以前は図書館で借りた本で済ませたようような。
帯には「こんな時代を生きるための指針を示す,ラジカルな箴言集」とある。
まあここまでの内容とは思わないのですが,村上節が炸裂しているよい本だと思います。
電車で読むのにもぴったりの分量です。

「最高傑作と「作品群」」というエッセイがあります。
芸術作品や文学などで誰それの最高傑作と云うときには「作品群」というような一連の作品が前提として存在していないといけない。例えば科学者で論文が一つしかないのにそれが私の最高傑作ですと云ったとしてもそう判断でき無いよというような話から説き起こされていくエッセイです。
科学者でも体系的で重層的な論文群があるような人はとりあえずsomebodyとしてとらえられるだろうしそういう作品群がない間はその人はnobodyと扱われてしまうのだろう。
科学論文においてどのようなものが傑作と云われる論文と見なされるのかには決まった規則がない。まず10誌くらいのトップジャーナルに掲載されるような論文にはある種の傑作性があるのだとは思う。数年経てば引用回数の統計も出て来るのでその時期まで行けば衆目により傑作というのは定まっていくのかもしれない。
ともかくも一貫したテーマによる「作品群」の構築が重要なのだろう。
またそのような作品群の構築は趣味とは云わないだろう。
などということを北へ向かう列車で考えました。

ぼくも研究を始める前には研究というのは楽しいものだろうと思っていたし小さな実験に成功したりするとそれなりに満足感も得られていたのだが,院を終わってからは何というか楽しいとかそういったことを思った事は無いのです。自分の予想通りの結果が得られたり論文が出版されたりするとある種の快感は感じるのですがだからといって別に楽しいとも思わないし,最近では院生の論文が出るとまず思うことは「よかった」ということでこれは楽しいという感覚とは全く別物なのです。
なのでぼくにとっては研究は趣味ではないのだと思います。だからといって現在研究が仕事というほど大きな存在かどうかもよくわかりません。

研究もホントやってみないとわかりませんよ。>新院生
頭のいい人はちょっとやって合わないとか云いますけど普通の人は愚直に何年かしないとわかりませんよ。ぼくなんて4年で学位を取れなかった劣等生だからわからないということがわかるわけです。

以前にこんなエントリーを書いたことがありました。
「小僧さん」から「番頭さん」になることができたらすばらしいと思います。
「箱や極めのないニセ物なぞないのである」というのは名言ですね。

しかし週末にかけてやってしまねばならん仕事は多い。さっき重要なもの三つ思い出しました。これが終わらないと…
某学会も準備は途中までしか進めてないので最終段階まで進めないといけないです。今回は3回登壇する事になるな。その他某審査員。

無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫)

Tagged with:  

涼しくなってきました。

研究室ではエアコンが作動している時間が圧倒的に長いのですが、あのブーンという音が耳障りで集中できない場合があります。そのためにBoseのnoise reduction systemを内蔵しているheadphoneを持っているのですが、耳を完全に覆うすこし古い機種なので長時間の装着で耳が痛くなってしまい、一時間が限度です。

初夏と初秋の極短い期間だけエアコンのスイッチを切っても快適に過ごせる期間があります。ぼくのiMacは大変静かなのでエアコンを切って部屋を暗くして作業をしているととってもはかどると思う時があります。
芥川龍之介の小説に「戯作三昧」というのがあります。青空文庫にも収録されています。八犬伝の作者滝沢馬琴が主人公です。
終り頃の一章に以下のような節があります。長いですが引用してみましょう。

その夜の事である。

馬琴は薄暗い円行燈の光の下で、八犬伝の稿をつぎ始めた。執筆中は家内のものも、この書斎へははいつて来ない。ひつそりした部屋の中では、燈心の油を吸ふ音が、蟋蟀の声と共に、空しく夜長の寂しさを語つてゐる。

始め筆を下した時、彼の頭の中には、かすかな光のやうなものが動いてゐた。が、十行二十行と、筆が進むのに従つて、その光のやうなものは、次第に大きさを増して来る。経験上、その何であるかを知つてゐた馬琴は、注意に注意をして、筆を運んで行つた。神来の興は火と少しも変りがない。起す事を知らなければ、一度燃えても、すぐに又消えてしまふ。……

「あせるな。さうして出来る丈、深く考へろ。」

 馬琴はややもすれば走りさうな筆を警めながら、何度もかう自分に囁いた。が、頭の中にはもうさつきの星を砕いたやうなものが、川よりも早く流れてゐる。さうしてそれが刻々に力を加へて来て、否応なしに彼を押しやつてしまふ。

 彼の耳には何時か、蟋蟀の声が聞えなくなつた。彼の眼にも、円行燈のかすかな光が、今は少しも苦にならない。筆は自ら勢を生じて、一気に紙の上を辷りはじめる。彼は神人と相搏つやうな態度で、殆ど必死に書きつづけた。

頭の中の流は、丁度空を走る銀河のやうに、滾々として何処からか溢れて来る。彼はその凄じい勢を恐れながら、自分の肉体の力が万一それに耐へられなくなる場合を気づかつた。さうして、緊く筆を握りながら、何度もかう自分に呼びかけた。「根かぎり書きつづけろ。今己が書いてゐる事は、今でなければ書けない事かも知れないぞ。」しかし光の靄に似た流は、少しもその速力を緩めない。反つて目まぐるしい飛躍の中に、あらゆるものを溺らせながら、澎湃として彼を襲つて来る。彼は遂に全くその虜になつた。さうして一切を忘れながら、その流の方向に、嵐のやうな勢で筆を駆つた。

この時彼の王者のやうな眼に映つてゐたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉に煩はされる心などは、とうに眼底を払つて消えてしまつた。あるのは、唯不可思議な悦びである。或は恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓を洗つて、まるで新しい鉱石のやうに、美しく作者の前に、輝いてゐるではないか。……


瞬間的にこのような境地に達することができることがあります。

IMG_0888

京都大学ではホームカミングデイというものが設定されています。今年で5回目です。
同窓会のようなものなのですがなかなか多彩な出し物があります。
例えば、小惑星探査機はやぶさ」プロジェクトマネージャー 川口 淳一郎 先生の講演などが今年はあります。川口先生は京大の同窓生なのだそうです。
しかし笑ってしまうのは、懇親会です。
学生サークルTREVISによるチアリーディングがあるのだそうです。
なんかちょっと…ですよね。

明日からちょっと本腰をいれて取り組んで来週中には懸案を90%以上まで進めたいと思います。昨日の朝から病院滞在が40時間を超えました。revise一つ片付いたので、今日はもう帰って寝ます。

一昨日のエントリーは小林秀雄のパクリです。すみません。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

Tagged with:  
madeonamac.gif Creative Commons License