連休最終日は日・当直です。
午前中に仕事が済んで午後から研究室にいて雑用をこなしていました。夕ご飯を食べ過ぎてさすがに電池切れで集中力が無くなってきました。
昨年は何をしていたのかと思ってカレンダーを見なおしてみたらこの期間に二回くらい当直していました。
昨日,久々に映画館に行きました。
「ルアーブルの靴磨き」という映画で超満員で立ち見の人も多数いらっしゃいました。あの映画館があんなに入ったのを見たのは初めてでした。
New York Timesに
A Sharp Rise in Retractions Prompts Calls for Reformという論説が掲載されていました。Carl Zimmerによる文章です。さすがに読み応えがあります。
しかし,そもそもこういった問題は,制度の改善によって克服できる問題なのでしょうか?
ぼくは,こういった問題は研究者という職業が成立している以上無くなることは無いと思っています。
論文となっている研究成果も「話半分」とぼくは,思っていることもあります。学会・研究会での質疑応答の過程で「何か変だな」と思うこともあります。質問をいつもはぐらかす人がいて,その人(達)の研究成果は割り引いて考えるようにしています。ぼくの研究が,逆にそう思われいることもあるかもしれませんがこれは仕方ありません。
皆に嗤われるかもしれませんがぼくの行う基礎研究の目的は「世界観の変革」です-今日も大学院生にそう話したらすこし引かれました-。つまり,他人の考え方や行動に影響を与えるような成果を世に問うことを研究の目標としています。「バタフライ効果」を狙っています。そのためには少なくとも研究成果が他人の目に触れるような形で発表される必要があります。学会での発表もその一つですが,不十分です。すくなくともMedlineに収録される形で発表したいと思います。なので行った研究は論文としてまとめたいと思うし,そうなるように仕向けていきます。negative resultを報告する目的でpositive resultsを抱き合わせることもあります。
どの雑誌に発表するかは常に意識していますが,気にしても仕方ない場合もあるので,すんなり掲載してくれる雑誌を選ぶことが多いです。
今現在ではそんなことを気にする必要のない立ち位置に自分がいるということもあります-求職中だとかそういった立場にはいないし,大型予算をもらって見合った研究成果を出す日宇用があるというような立場でもありません-。院生の皆にはその点で迷惑をかけているかもしれません。ぼくがもう少しじっくりと構えてまたもう少し聡明であればもっと「上の」雑誌を狙うことが可能だったかもしれないからです。
しかし,目標・目的はどうであれ,実験医学にはお金がかかります。このための資金をどこかから調達する必要があります。特別な場合を除けば,「実績」-要するに査読付きの論文です-がないと調達に失敗します。特に公金が研究資金の場合は,普通の研究費であればあるほど課題採択には,コネなどはほとんど役に立たず,客観的な根拠が必要です。
「実績」にもランクが存在します。雑誌でも査読の有り無し,査読がある雑誌でもいわゆるimpact factorの高低などが問題になります。日本語の商業誌にいくら論文があっても無いよりはよいかも知れませんが査読付きの論文数がある程度の数なければ研究費の獲得には支障が生じます。学会の招待講演やランチョンセミナー何度講演をしても日本学術振興会の科学研究費の申請には記入する欄すらありません。
結局,「実績」として論文が必要なのです。
ここで振り出しに戻りました。
ArXivのようなサーバーに論文が登録されつまり論文を出したい人は一定の形式を満たせば研究を世に問える,その後の研究の評価は業界に委ねるというというような制度になっていくつまり「Faculty 1000」とかSNSでの評価などで研究をある程度の期間を経て評価するような仕組みに移行するしか「解決法」はないのではないと思います。
ちょうどNew York TimesにScience and Truth: We’re All in It Togetherという論説が出ていました。
少し前からある日本の麻酔科医の行った一連の研究が物議を醸しています(参照)。日本麻酔科学会でも調査委員会を作ったそうです(参照)。
(英文の声明も出ていますが,何を言っているのかわかりにくい文章ですね。)
学会にどのような調査権があってどのような調査ができるのかは不明ですが,全体像の整理などは行う事は可能なのでしょうか。障害はこれ以外にもたくさんあります。例えば10年前の研究について記録がどれくらいしっかりと残っているかどうかも不明です。
学会の規定に
理事会は,第3条に規定する行為をなした疑いのある会員の存在が判明したときは,直ち
に当該行為に係る調査特別委員会を設立し,その事実の有無,内容,程度,状況等を調査
させなければならない
とあるのですがこれを受けての設置なのでしょうか。
その結果,
研究者あるいは医師としての社会的モラルや品位にかける行為であり,それがこの法
人の名誉および社会的信用に影響を及ぼすおそれがある行為
であると認定されると処分される可能性がでてきます。
最高のランクの処分は「除名」です。
JAMAに以下の様な論文が掲載されていました。
Characteristics of Clinical Trials Registered in ClinicalTrials.gov, 2007-2010
無数の臨床研究が行われているわけです。ClinicalTrials.govに登録されているような「しっかり」していると思われる臨床研究でさえこういう実態なのですからぼくらがちょっとやってみる臨床研究にどんな意味があるのかはよく考えないといけないことだと思います。
集中治療医学会から「日本版敗血症診療ガイドライン(案)」が発表されていて時間があったので眼を通してみました(参照)。有名な2008年のガイドラインとどこがどう違うのかなどについてまとめた表などがあると助かると思いました。ぼくのような不勉強な人間には一読してそれがわかるようにしてもらいたいです。
臨床上のすべてのエビデンスは自分の眼の前の患者に対して有効かどうかを自分で決める必要があります。このガイドラインを聴衆の前で「解説」解説することはそう難しくないと思いますが,手術室・集中治療室で患者に適応することはそう容易ではないと思います。
「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」
ということになります。
このようなガイドラインを前にしてぼくらが取る態度としてこのtweetのような健全な感覚は持ち続けたいと思います。
水村美苗さんの「母の遺産―新聞小説」を読みました。堪能しました。
ネットで評判のページです。
1987年の文章とは思えない今日性を持っていると思います。
大学院は必読です。
- 心を鍛えることが最大の防御
- 定期的に論文を出せ。しかしやり過ぎるな
すこし引用します。
だから、「完璧な」論文などできないのだと悟らなければならない。なんにでもそうであるように、欠陥はかならず見つかる。あなたが得ることのできる限られた時間、お金、エネルギー、励まし、思考の範囲内で、できるかぎり良いものをつくるようにすることだ。
いつもぼくが思っていることです。(参照:「でもしかたない。与えられたものでやっていくしかない。」)
論文を出さないといけないというプレッシャーは、ジャーナルの質も知的な生活の質もダメにしてしまいつつある。すぐ忘れ去られるような小さな論文を次々と出すよりは、質が高く広く読まれる論文をいくつか出すというのがずっとよいのだ。現実的にならなければいけない。ポスドクの地位を得るために、そしてさらに大学に職を得て、さらにテニュア(終身在職権)を得るためには、論文を出してないといけないだろう。しかし、本当に質のあるまとまりとして研究を組み立ていければ、それは自分にとっても研究分野にとっても良いことをしているのだ。
ほとんどの人は、本当に重要な論文をほんの数本しか書いていない。多くの論文はほとんど引用されないか全く引用されない。10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ。引用されない論文は時間と労力の無駄だ。量ではなく質を高めよ。これには勇気と粘り強さが必要だが、決して後悔はしない。年に一本か二本、考え抜かれた、重要な論文を査読のあるよい雑誌に出すならば、それで十分きちんと仕事をこなしていることになる。
「10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ」って真実だと思います。引用されない論文は「産業廃棄物」と同じです。また,「年に一本か二本」も重要です。論文0だと何とも評価できません。
ホームランを打ち続けることは限られた人というか恵まれた研究グループにしかできません。
そうでない人は確実にヒットを打って出塁してたまには二塁打,すごくいくとランニングホームランがでたら儲けものだと思っています。
最近出版されたホームラン級の研究を二つ。
- A Mechanism for Gene-Environment Interaction in the Etiology of Congenital Scoliosis
Cell, Volume 149, Issue 2, 295-306, 05 April 2012 - Adora2b-elicited Per2 stabilization promotes a HIF-dependent metabolic switch crucial for myocardial adaptation to ischemia
Nature Medicine (2012) doi:10.1038/nm.2728
すばらしいですね。
脱帽です。
バイオパンク―DIY科学者たちのDNAハック!
とう本が出版されています。パンクはpunk rockのpunkです。
21世紀はバイオだ。バイオを大学の研究室からハッカーの手へというコンセプトを実例を挙げて紹介しています。
“Tinker”という言葉がカギです。フランス語に「ブリコラージュ」(Bricolage)という言葉があります。それをする人を「ブリコルール」(bricoleur)と云うのですが本書では,tinkerにはそれと同等の意味を持たせています。
自宅のキッチンでというのはなかなか難しいですが,研究はやろうと思えばどこでもできます。大学でないと研究ができないというのはアイデアと実行力が足りないと自分で言っているようなものです。ただ廻りに理解者は必要だと思います。
この本すでにぼくの基準では今年のベスト3入り確定です。
Amazonでは品切れですね。ぼくはkindle版を買いましたがkindkeでも$16.35もします。英語は平易で普通に理系の人達にとって読むのに何の不自由も無いと思います。
サクラが咲いています。病院の駐車場のサクラも8分咲きとなっています。
毎年この時期に「桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)」を読み返します。
京都を訪れる観光客もこの時期増えて来て外国人の観光客もかなり目立つようになっています。
今日地下鉄に乗っていると三人の外国人に声を掛けられ結局彼らは英国からの旅行者だと言うことがわかったのですが最後になぜか写真を撮られました。意味が最後までわかりませんでした。
最近はこのサクラの時期に文部科学省と学術振興会がスポンサーの科学研究費の交付内定の通知がなされます。電子申請システムを通じて事務からの通知がある前にかなりの事が解るようになっています。
多くの普通の研究者にとっては大きな関心事の一つです。
毎年秋に提出した申請書がその分野の「学識の高い人達」によって審査されてその結果が発表されるわけです。
この科研費が取れないと研究の支障が生じて大変困ったことになります。
一人でいくつも申請ができるわけではありませんが重複制限に抵触しないかぎりの申請を毎年ぼくでも試みるわけです。共同研究者の研究を一部分担することにより取得する研究費もあります。他省庁や民間の研究費もありますが臨床活動もしていて書類を作成する十分な時間が取れません。秋の10日くらいをかけて一気に仕上げてしまいます。ほとんどは一日で書き上げてしまうのですがそこから削って,削って,少し足して完成させます。
目標はぼくの場合,平均して年間1000万円です。これだけ集めるとぼくの研究室を維持することができます。つまり大学院生4人が実験を継続するためにはこの程度の資金が必要だと云うことです。
これ以上あればいろんな事ができるかも知れませんが,これより少ないと大変困ります。自分の集めた研究費でやりたいというのが職業研究者のぼくの矜持です。
以前在籍した研究所では,外部資金を一円も獲得しなくともこれ以上の研究費が支給されていました。精神的に楽でしたが今やそれを望む事はぼくにはできません。
小説「1Q84」のヒロイン青豆も云っています,「でもしかたない。与えられたものでやっていくしかない。」と。
まだ読んでいなかった竹内薫さんの「科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか」を読みました。
科学専門誌でない一般月刊雑誌「新潮45」の連載をまとめたものだそうです。
それゆえとても一般読者にも解りやすいものになっています。科学に直接携わっている人が読むと物足りなさを覚える部分のあるかも知れませんがちりばめられているエピソードが結構おもしろく一気に読めてしまいます。
科学上の捏造,盗用も取り上げられています。
今週報道された東京大学の一件には驚きました。(参照 御大のtweets)
実際に何が起こったのかはぼくらには解らないので何ともいえません。
非常に不可解な一件です。
「京都大学新聞」という新聞がなぜか発行される度に配達してくれます。
最新号に京大ルネの書籍売り上げ年間ベスト100が掲載されています。
ベスト10を挙げてみます。
「武器としての決断思考 」がダントツです。
今度「図書館」シリーズを読んでみようと思います。
- 武器としての決断思考 407冊
- 思考の整理学 318冊
- 恋文の技術 299冊
- プリンセス・トヨトミ 280冊
- 図書館戦争 271冊
- 「大発見」の思考法 265冊
- 夜は短し歩けよ乙女 211冊
- 図書館危機 208冊
- 四畳半神話大系 200冊
- 図書館内乱 198冊














