まる三日間有意なことは何もせずぼっと本を読んだりしていました。
今日は朝から研究室に居座り時間を分けて手をつけかねていたいろんなことに手をつけ始めました。結構はかどりました。
こういった時間があるとやはり進みます。
科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)を読みました。 どういった読者を想定しているのかがわかりにくいと思いました。
上級編と言ってもあくまでも中学生、高校生レベルの”上級者”です。
先月、多田富雄先生が亡くなりました。
日本の新聞でも当然報道されたのですが、New York Timesにも数日前に評伝が出ました。
Tomio Tada, Influential Immunologist and Author of Japanese Plays, Dies at 76
この三つを比べてみると如実な差があります。
多田先生の仕事をどう解釈するかなど、科学論の中心的な問題だと思います。大学院生の演習にもなるのではないでしょうか
サイエンスコミュニケーターは確かに必要ですね。
ところで、ぼくにとって科学はあくまでも好奇心の対象です。その意味では”疑う”というよりは”信じる”ことから始まっています。
何を信じるのかというと”真理の存在”です。宗教的な信仰は持っていませんが、この世には真理というか摂理というかなんというかとにかくそういうものがありそれを明らかにしたいものだという気持ちはあります。
容疑者Xの献身をふくむ東野圭吾氏の「ガリレオ」シリーズが科学への扉を開ひらいた小説として紹介されています。確かに”実に興味深い”フレーズが出てきます。
彼はどんな優秀な教授でも、いつも正しいことを語るわけではないということを知っていた
大学でできることは自分ひとりでもできる
前にも言っただろう。考察というものは考えて察した内容のことだ。 実験して予想通りの結果が得られたのでよかったというんじゃ、単なる感想だ
なんという綺麗な目をした母娘だろうと思った。それまで彼は何かの美しさに見とれたり感動したことがなかった。芸術の意味もわからなかった。だがこの瞬間、すべてを理解した
数学の問題が解かれる美しさと本質で気には同じだと気づいた
最後のフレーズなど小林秀雄に「文芸批評の科学性に関する論争」ー小林秀雄全作品〈3〉おふえりや遺文に収録ーという小文がありますが、これに匹敵するかも。
かまどさん使っていますけどスゴイですよ。
昨日当直でした。
気を遣う緊急手術が夜中まであり疲れました。
いつもと違い手術室が暑く疲弊しました。
昨日GLSがNHKの出演したようです。
立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む
これって文藝春秋で連載していた奴ですよね。なら出ると思いました。ぼくはちょうどgraftのput-inでテレビを観ることはできませんでした。
さて
なぜ「科学」はウソをつくのかという本を土曜日に梅田で買って電車で読みました。
何冊かはitunes storeで売られていることからわかるように竹内薫さんの著作は、話し言葉でも通用するような流れるような文章で書かれているのでとても読みやすいしわかりやすいのです。
産経新聞のコラムでの科学エッセイを下敷きにそれに加筆する形式で進んでいきます。
第三章以下の内容はとくに啓蒙書であるという正確が強く押し出されてくるのですが、第一章(「色あせた科学」)と第二章は少々毛色が異なります。
特に、第二章は「科学の闇」という微妙なタイトルで、筆者が斯界の重鎮につぶされかけた経験などがそう赤裸々でもないのだが明かされています。ーぼくだって某教授に”ひねり潰してやると”いわれた事はありますー
今日のトピックスはこれに関することではありません。
本書の53ページから数ページは2008/8/17の産経新聞のコラムで、京大の山中教授の取材後記といった風情のエッセイなのですがさても面妖な内容だったのです。
筆者によれば京都大学の山中教授はすばらしいのだがそれに比べて彼の「居城」である京大病院(なんて病院は正式にはなく京都大学医学部附属病院があるだけである また彼の「居城」が京大病院という意味も不明です)の設備があまりにも貧弱であったというのです。
彼はいったい京大病院の何をみたのだろうか。
京大病院が属する京都大学のメディカルキャンパスは西は川端通り、東は東山通りで,北は白川通り,南は春日通で区切られるエリアでこのエリアは東西に走る近衛通,南北の綾小路が通っていてそれぞれサブエリアを形成している。
山中教授の研究室の中核はこのキャンパスの南西の角に建っている再生研にありこの建物は南に京大病院の南西病棟がひかえ、北は西病棟、西はウイルス研究所に接している。
南西病棟は旧京都大学胸部疾患研究所附属病院の建物をそのまま引き継いだ京大病院でももっとも古い時代に建てられたものである。
おそらく取材の行われた2008年当時でも京大病院の外来棟は少なくとも見かけは米国NO.1という評価のJohns Hopkins University Hospitalより立派な建物でありそこそこの応接室などもしつらえてある。山中教授がノーベル賞を受賞した場合の記者会見などは多分京大病院では行われないと思うのだが仮にここで行われても特に恥ずかしくはないはずである。そもそも山中教授のお客さんが”病院”の応接室でお客さんと応対することも無いと思うのだが、竹内さんは何が言いたかったのだろか。それともすべてご覧になった上で”京大病院”が貧弱だとおっしゃっているのだろうか?それならそう考える人が”間違っている”とはぼくもいえません。
この本の主張には大いに賛同できるし、研究にたずさわる人は読んだらいいと思うのだが、その他の内容も疑う必要があるのではと思わざるを得ません。
総論は正しくとも各論で詰めの甘いということは「科学」とは対極にあるものと思います。
とても良心的な科学ライターと思っていた人が結構ずさんかもと思うようになり暗い気持ちになりました。
最後に
ぼくは日本の科学がどうなるのかというようなことには興味は余りありませんというかそんな大きな事を論じる資格も見識もありません。人類がどこまで行けるかについては大いに興味を持っていますが、それ以外は、自分の周辺がどこまでいけるかということにしか興味を持っていません。
マキュアンの翻訳がでるようです。
タイトルは「初夜」です。
これって”On Chesil Beach”の翻訳でしょう。こっちは一応読みました。楽しみです。マキュアンのような難しい作家の著作は翻訳の方が数段楽しめます。
ノーベル賞残念でした。そして2700億円の行方は…
fMRIを用いた研究
PLos Oneから
Harris S, Kaplan JT, Curiel A, Bookheimer SY, Iacoboni M, et al. (2009)
The Neural Correlates of Religious and Nonreligious Belief.
PLoS ONE 4(10): e7272. doi:10.1371/journal.pone.0007272
“Jesus ascended to heaven and is seated at the right hand of God the Father.” のような信仰を持っている人15人と”The belief that Jesus ascended to heaven is clearly false.”と考える無神論者15人を集めて三つの種類の質問ーSome were statements of religious belief, some of religious disbelief. Some were statements about more ordinary facts.ーをして脳の活動をfMRIで解析してみた。すると結論として神への信仰のようなものと何かの事実たとえば科学的な事実を信じると云う事には脳の活動のレベルでは大した差はないと云う事が言えたというような話だと思う。
まあそんなものでしょうか。
自分の”信仰”をカンファレンスで際限なくしゃべり皆の迷惑になっているような人の頭の中では神への信仰と同じことが起こっているのでしょうね。
ほんと迷惑なのでいい加減にしてください。







