Archive for the ‘臨床’ tag
あと一廻り早く生まれていたら…
休み終わっちゃいました。
New York Timesから
Ghostwriting Is Called Rife in Medical Journals
Lasker賞は Gleevecのチームも受賞なのですね。iPS cellもすごいけど。
個人的には epigeneticsでノーベル賞がそろそろ出ていいと思っています。iPSは今年でなくとも確実は確実だろうし …
「1968」読了しました。
冒頭の一文「感動しました。とてもすばらしいです。でも私には何もないの。それでは闘ってはいけないのでしょうか?」からはじまってこの文章で終わる 2000ページ超の大著ですーといっても上・下それぞれ100ページほどは”注”と索引になっていますー
第5章 慶大闘争
第14章 1970年のパラダイム転換
第15章 ベ平連
これらでは知らないことも多く参考になりました。
ベ平連の中心に小田実でなく石原慎太郎をという意見もあったというのは悪い冗談の様な気もしましたが当時はそういう作家だったのでしょう。
ぼくがあと一廻り早く生まれていたら、検証された「1968年」に間違いなくどっぷりと関わっていただろうと思うと同時に一廻り早かったら大学に進むことともなく今とはまったく違う人生を歩んだことになっていた可能性もあったと思っているので改めて考えさせられました。
結局遅れてきたぼくの「1968年」は何かと考えると「研究」が当たるのではないかと考えた。
特に深く考えることもなく医学部に入学してそのまま卒業して医者になったのだが入学してから人生で一度は「研究」というものを体験してみたいと考えていた。「真理」の探求とか研究を通じての人類への奉仕とかそういたことはあることはあったと思うがそれより人生で一回は研究生活をしてみたいという気持ちの方が強かったと思う。ー高校生の時にPOMCのプロセッシングの大きな仕事で沼先生と中西先生が「科学朝日」(朝日新聞が出していた一般向けの科学総合誌です)で取り上げられているのを見て京都大学への進学を決めたのですー
つまり「感動しました。とてもすばらしいです。でも私には何もないの。それでは闘ってはいけないのでしょうか?」である。
そういう理由だったので医師免許を取得して丸4年臨床に専念し、その当時の水準でいえば一通りの手術麻酔は自分ですることができるという自信もついたところで大学院に進学した。
いろんな経緯があって、麻酔科内の研究室でなく京大のウイルス研究所の研究室にお世話になることになった。このときの経緯は以前に書いたことがあったと思う。
またこれも以前に書いたのだが、4年間は一つの論文もなくほぼ啼かず飛ばずのどうしようも無い大学院生だった。不思議とそれに対しては特に焦りもなく毎日実験に励んでいた。自分のやっていることが価値があるとか無いとか役に立つとか立たないとかを考えた事も無かった。将来への展望とかそういったものは全く持っていなかった。臨床医だったので路頭に迷うことはないだろうとは考えていたということもある。この時期は研究というより実験することそれ自体が態度の表明であり、意味をもつ運動であった-一種の中毒である-。
そうこうしているうちに4年が過ぎ結局は京大の麻酔科で働くことになったー引き取られて行ったというのが正しい表現かもしれないー。学位の為の研究は完成はしていなかったので実験材料とともにウイルス研から引っ越した。
そこから3年3ヶ月はたぶん人生で一番働いた時期だった。集中治療室で働く、麻酔をする加えて救急車の対応もしていた。CPA, 農薬中毒、全身熱傷、腹腔内出血などかなりの患者が救急車で運ばれてきた。ホットラインへ連絡があり、4階から1階の救急外来に降りて救急車を迎えるときのあの感じは今でも鮮明に記憶している。救急車の進入口が研究室の真下なのですが救急車が到着すれば救急外来に出かけたりということもあった。のぞき込むと胸部圧迫をしてる姿が見えるので放っておくわけには行かなくなるのだ。
当直は集中治療室でしていたので当直中は部屋の外にでるのは救急外来か病棟で患者を診るときだけで研究室には戻れなかった。これに加えて研究活動も継続していた。
程なく学位を取るための論文が完成したーこの論文はぼくの関わった論文のうちの最高のものだと自分では今でも考えているー。麻酔科での指導者はいなかったので学位の講演会の予行演習などもなしで自分だけで臨んだ。
ここで転機が訪れ米国に留学ということになった。留学にははじめは気が進まなかったのだがこれまたいろんな経緯を経て結局は GLSの研究室に参加することになった。
留学の一番大きな目的は、臨床のdutyーdutyだけでなく臨床が完全にないーがない環境下に自分がおかれた場合どれほどの事が研究でできるか見極めたいということに決めた。
留学中は、FIH-1もとれたし,某遺伝病の解析にも参加できたしまあまあの成果が上がったと思った。
研究だけに専念すればこのくらいにはできるのだという妙な自信もついたー後にこれが仇になるー
今から思えばもっとやっておくべき事はたくさんあったのだそうがんばる必要もなかろうと日和っていた訳である。
帰国時に、某研究所に就職したのが「1968年」的な観点からは失敗だったかもしれない。
そもそもの始まりは研究成果が生物学・医学の発展に役立つというよりは研究自体は自己確認の手段だったのであるが、研究所で研究をすることを生業とするという気負いで先鋭化していったのだと思う。
せめてもの救いは、ぼくの研究室に参加してくれた学生が数名いてくれて彼らとの人間的な交流があったことだろう。研究所を辞して、研究所付きの病院に異動して救われたと思った。今から考えればこの病院でのスタイルがぼくには一番あっていたのかもしれない。この期間の研究成果にはいまでもとても満足している。
しばらくして大学に異動してからはぼくの余裕がなくなり大学院の学生にも大変な迷惑をかけてる。大きな意味での研究活動は、基本的には自分のために行っていた「1968年」的性格を完全に失った。
研究にもいろんなものがあり最近では”役立つ”研究が重視される傾向にある。役立ちそうでかつ基礎的にも価値のある研究もたくさん存在して iPS cell研究などその好例であろう。
はじめに手がけた thioredoxinに関してもまた 10年ほど前から手がけている HIF-1にしてもまだ解かれていない基本的な問題が散在している。研究の進展とともに新たに生まれた問題でなく10数年前から解かれていない問題もたくさんあるのだ。これらを解くことで「1968年」問題に決着をつけて残りの人生を送りたいなという気持ちは強い、のですが難しいかもね。
時間があったので休みに「鶴見俊輔~戦後日本 人民の記憶~」の録画してあるのを見直しました。
ついでにこれも観た。
家内も1Q84を読んだという話
結局今日は喫茶店をはしごしていろんな作業をした。パソコンがあってネットにつながっていればどこでも仕事はできるものです。しかしぐったりとしてしまいました。動かないので身体が冷えてしまうのです。
今週家に帰ってびっくりしました。
家内が1Q84を読んだというのです。青豆編だけ読んで興味が出たので天吾編も読破したということです。-家内は文盲だと思っていました いろいろと聞いてくるので迷惑です-。
一気に200万部(100万セット)出るということはこういうことなのですね。
社会現象として、先週火曜日のNHKの番組で1Q84現象が取り上げられていました。
栗山 千明と青木 崇高の朗読付きだ。-映画になるとしたら青豆は栗山千明か小西真奈美だと思う-
New Yorkerのeiditorの意見がもっとも的確に的を射ていると思った。
村上春樹の小説には世の中や物事に対する彼なりの”見方”が登場人物を通して語られそれの読者を説得してしまうという不思議な力がある。
1Q84でもしかり。学生運動からカルト集団の成立にいたる背景の説明などそれ自体非常に優れたものだ。
また例えば二つの月の話についての小松の意見
ほとんどの読者がこれまでに目にしたことのないものごとを、小説の中に持ち込むときは、なるたけ細かい的確な描写が必要になる。
研究でも通用する話だ。
また天吾が数学と物語の世界を行き来する自分について語る場面(book1, p318)。
物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、一つの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって,解答のあり方が物語的に示唆される。天吾はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる。それは理解できな呪文が書かれた紙切れのようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。いつか自分はその呪文を解くことができるかもしれない。そんな可能性が彼の心を、奥の方からじんわりとあたためてくれる。
基礎研究と臨床の関係もこのようにとらえることができればよいと思う。
それと同時に普通の人間,つまり「かえるくん、東京を救う」の片桐さんのような人、が大きさはともかくある力に対峙していくという筋がある。読者にこれまた不思議な勇気を与えてくれる。力はリトルピープルに代表されたりする場合もあるしねじまき鳥の場合にはもっと漠然としてる強い邪悪なものであるときもあるしそうでない場合ものだが。
例えばbook2のp490あたり天吾の父親の世話をする看護師のセリフ
看護婦になる教育をうけているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されていいてもされていなくとも,鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教わります。理屈はどうであれ,それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います
このような看護師が多分世の中にはいて医療現場が支えられているのだと思います。
って感じ。
しかし1Q84の翻訳はどういうタイトルになるのでしょうか。
Qが9なのは日本語だけだと思う
ラパマイシンで寿命を延ばす
当直です。午後に働きました。
明日の明けまであと8時間。
それ以外は論文作業。
W先生のproofと格闘。W先生の別の論文の作業。T先生の論文のreviseと予定通りに進みました。
時間も無いのに引き受けた査読も終わりました。
集中できる時間があればどんどん進みます。
清々して明日と明後日は休む。
Natureのこの論文にはびっくり
Rapamycin fed late in life extends lifespan in genetically heterogeneous mice
何でもありそうでビタミンCとかビタミンEにはこんな作用はないだろう
普通に暮らしていているヒトにこれやったら感染症で多分寿命は短くなるのだろうがこの経路で長生きできるという原理的なことが重要なのでしょうね
論文がほんとなら明日からはじめても効果あり!?



