赤の女王仮説と医局運営

On 2011/8/21 日曜日, in book, Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

進化論の仮説の一つに「赤の女王仮説 Red Queen’s Hypothesis」と言われるものがあります
一言でまとめれば

In reference to an evolutionary system, continuing adaptation is
needed in order for a species to maintain its relative fitness amongst
the systems being co-evolved with

ということになる思います。
赤の女王がアリス言った『同じ所にとどまろうと思うなら、全速力で走りつづけなさい』(It takes all the running you
can do, to keep in the same place) という言葉に由来すします。

ある種が淘汰圧に負けずに生き残る為には絶え間のない適応的な変化が必要だ、という仮説である。
これは進化論上の仮説なのであるが、進化論自体が一種の思想的な性質を帯びているので人間活動にも比喩的に適応できる。
たとえば医局運営にも。
そしたらどうするか。進化論の教えるところによれば交配を進めるということで、つまり、とにかく人的な流動性を高めるということでしょう。
現在がどうであれ定期的にかつ強制的に人を入れ替える。
これやるしか無いよ。

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投稿三つ済ませて今週末は仕事をさぼっています。
来週から再開です。某総説の原稿もさぼっていたら催促が来ました。内容は全部決まっているので10日でなんとか完成できると思っています。

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ここ半年くらい朝まで麻酔をすることがたびたび-月に最低二回-あります。
研修医君とするときもあるし自分一人でするときもあるのですが、ペース配分が不可能、つまり輸血をし続けるしかない手術はおいておくとしてペース配分が可能な手術でどうやってペース配分をするのかとかどんなマントラを唱え続けて最後まで麻酔をかけ続けるのかということは麻酔の教科書には書いてありません。
と言うようなことを、先週考えながら30時間手術の終わり2/3を担当しました。手術室にはなぜか宇多田ヒカルの「First Love」が何度もリピートされていて廊下にはモーツァルトのオペラのアリアが流れ続けているという不思議な手術室でした。

講演会のUSTREAMでライブ中継を行おうと思っていろいろと調べています。講演会の中継は音声をクリアにするためにはiPhoneでチョイという訳には行かないようです。
機材集めが間に合いそうもないので今回はLIVE中継はあきらめて編集後の映像と音声をYouTubeでながすということで許してももらおうかな。

赤の女王―性とヒトの進化 (翔泳選書)

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今週中に終わらせようとしている原稿の作業を並行して4つくらいしていたのだが最後の最後の段階では平行作業はできないので一つ一つ仕上げている。今日一つお終いなのだが,漫画を一つか二つつけないといけないので困っています。絵心が極端に欠如しているのですよ,ぼくは。

小川洋子ってすでにすごい高みに到達していると思う。

「猫を抱いて象と泳ぐ」が文庫本になったので読んでみました。

主人公「リトルアリョーヒン」は「ブリキの太鼓」のオスカルを彷彿させる異形ー実際にーのキャラクターです。
これまた異形ー太っているーの師匠「マスター」にチェスの才能を見いだされかなり棋力はあがるも独特の対戦スタイルが受け入れられず,結局は「パシフィック・海底チェス倶楽部」というかなり怪しい名前のクラブで振りの客とチェスをする操り人形を操るプロの棋士になる。

「盤上で紡がれる棋譜は一種の詩であり,これはプレーヤーによる「創造」ではなく「発見」なのだ」との悟りに達している。また「最強の手が最善とは限らない」。

前半の山場の「リトルアリョーヒン」と称される主人公の少年が師匠である「マスター」に初めて勝つチェス戦の描写ー4章ーが読み応えがある。理論的には有限であるが実質的には無限の「次の一手」が一種の必然性を持ってプレイヤーに発見されて盤上に表現される一瞬一瞬が克明に綴られる。
たった一つの棋譜を除いて一生涯を書けて綴った棋譜は残らなかった。

麻酔記録も麻酔科医にとっては「棋譜」である。電子麻酔記録の時代になっても麻酔記録を検討すれば麻酔科医の考えていることまた考えていなかったことが分かる場合がある。
自分でも年間500件くらいは麻酔を手がけるのでそのくらいの「棋譜」を作っていることになる。また他人の麻酔記録をさらに年に1000件は見ている。電子麻酔記録であっても個性は出ると思う。

研修医の頃,自分が手がけた麻酔の麻酔記録をファイルしていた。何か捜し物をしていてついでに見返えすことが何度かあったのだが不思議とその麻酔を覚えていてビックリした。自分で「指した一手」をそのときの情景と共に覚えていたのである。

次の一手が一種の必然性を持って発見できるようになれば麻酔科医も一人前なのかもしれない。
そのための訓練には大きな舞台は必ずしも必要でないのだと思う。誰もが心臓移植や肺移植の麻酔をする必要はない。またそれ無しでも,さらに言えばそれ無し故に得ることのできる何かは確実に存在すると思う。
また麻酔も「最強の手が最善とは限らない」。

知識はしかし必要だ。医学は経験科学であり必要な知識がないと太刀打ちできない。
でも,知識は本を読めば身につくし面倒なら人がまとめたもの読んだり聴いたりすればそれでよい。
専門医試験などその程度の事である。

猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)

また以下は某mailing listへのぼくの投稿です。

こういった世界が現出すると麻酔は確実に変わると思います。

科学的であるということと美しいということは両立します。

医療行為、特に麻酔はよく航空機の操縦にたとえられます。また医療安全への取り組みに航空機の安全運行への取り組みを援用するという試みも行われます。
その比較が適切かどうかを yesの立場とnoの立場から論じた論文というよりはエッセイが BJMに出ています。

Have we gone too far in translating ideas from aviation to patient safety? Yes

Have we gone too far in translating ideas from aviation to patient safety? No
どなたでも全文を読むことができます。
Yesの方を書いているのは麻酔科の医者です。

Googleは世界中の本をスキャンするというプロジェクトを遂行しています。
今までで電子化された書籍は1500万以上でこれまでに人類が発行した書籍のおよそ12%に相当するのだそうです。
それを用いた研究成果が雑誌Scienceに発表されています。ハーバード大学の人たちとgoogleの共同研究です。

Quantitative Analysis of Culture Using Millions of Digitized Books

購読権が必要ですので少し旧いバージョンの原稿をあげておきました。

ハーバード大学の数学者による研究チームは、Google Booksのスキャンデータのうちの3分の1(51957695冊)分のデータを使い、1800年から2000年の間に出版された書籍に出現する5000億単語を解析し、各単語の出現頻度をデータベース化したのです。
そのデータベースを利用した解析結果の報告です。
このような研究手法を彼らは”culturomics”と呼んでいて、今回は戦争や奴隷制度などの文化的変化と言語的変化との関連、つまり文化的変化を記述するのに使用された言葉の変化を調査した結果が報告されています。

文法の発達や集合的記憶、技術の普及、知名度の追跡、検閲の影響、流行病の歴史など、多様な分野に情報を提供できるはずで、知名度の追跡だけを科学者について取り出したものが”The Science Hall of Fame”という呼び名をつけられ公開されています
(http://fame.gonzolabs.org/)。
こっちも興味深いです。というか俗的にはこちらの方が面白いです。

一方、医療とくに麻酔科学の分野に限っても例えば世界中のすべての麻酔チャート(ASA-PS、気道確保法とか体位とかだけでなくまるごとの麻酔記録)がデータベース化できればこれはすばらしいものとなると思います。電子麻酔記録システムが導入されているのですから原理的にはすでにこのようなことは可能なのです。
ここまでやれば世界が変わると思います。

世界中で日々生成される麻酔記録がリアルタイムで参照可能になればこれはすばらしと思います。
プライバシーなんて知ったことか。

当直のたびに某手術に関わっているような気がします。今日は今まで緊急手術に当たったことがないという研修医君と組んでいたはずなのに…
今日はぼくは端で旗振っていただけなのですが,その間に緊急が来るわ来るわ。どうなっちゃんでしょうか。

でももうおしまいです。手術時間は正味6時間くらいでした。

New York Timesに
Why Would Anyone Choose to Become a Doctor?
というタイトルのエッセイが載っていて興味を引かれました。

You hear it all the time from doctors — they would never choose medicine if they had it to do all over again. It’s practically a mantra, with the subtle implication that the current generation of doctors consists of mere technicians.

日本でも米国でも一緒なんですね。
前線で医者やっているってこんなマントラ唱えながらマラソンしているようなものです。

確かにこの商売,高校生や医学生がナイーブに考えているほどヤワでクリーンな商売ではありません。
世の中の医者が登場するテレビ番組がぼくらに嘘くさく見えるのは”何の為に医者やっているの?”という部分の描き方がステロタイプだからです。
こんな本読んで医者を目指す物がいたらと考えると…
かなり悪趣味だと思います。

それでもなんで皆が医者を目指すのか? というのがこのエッセイのテーマです。

金ですかね? 確かにこの時勢確実に収入が確保できる職業だと思います。週に一日か二日働けば十分と言うより毎日働いている人より多くの収入を得る道が確実にあります。弁護士になるのがどれくらい難しいか想像できないのですが多分それより医者になるのは簡単だと思います。要するに努力すれば叶うというそう言った側面があると思います。
しかし著者は,

It certainly can’t be the money — Wall Street is the faster and more reliable route to wealth, as evidenced by the skyrocketing of applications to M.B.A. programs.

と書いています。米国ではそんなものなのでしょうか。

On top of that, I have to wonder about the alternatives if I gave up clinical medicine — pushing papers, sitting in endless PowerPoint meetings, crunching numbers — and realize that I am lucky and immensely privileged to be able to work directly with patients.

確かにこの問題は大きいです。今”医者を”やめて何をするのか,論文書いたり,講演生活に入ったりなどなどで満足できるのかという問題です。
ぼくもちょうど10年間くらいに1年半くらい臨床は横に置いておいて研究主体の生活を送ったことがあります。外科医なら手術をしない外科医はまっとうな”外科医”とは言えないだろうし麻酔科医なら実際に手術室で麻酔をしない医者は”麻酔科医”とは言えないだろうと思います。というわけで麻酔科医だというためには毎日ピッチに立つ必要があるわけです,ぼくの中では。
で最後は,

And when my students and I have our inevitable “career talk,” I tell them that there is nothing else I’d rather do in my life than medicine. If I had it to do all over again, I’d end up right here in this office — telling them that there’s nothing else I’d rather be doing.

というオチがついてました。

このtweetも結局はこれと同じ事を言っているのかもね。

奈良医大の先生方との共同研究”Effects of n-propyl gallate on neuronal survival after forebrain ischemia in rats“が雑誌”Resuscitation“にアクセプトされました。
ヤッホー!!
研究は論文にしてなんぼですよ>大学院生

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