今日がんばって某報告書の作成やgalley proofだのを全て処理してしまいました。
明日の当直なのですが何もできないと〆切に間に合わないからです。
”Building a Better Physician — The Case for the New MCAT”
N Engl J Med 2012; 366:1265-1268
という文章を読みました。
米国では医学部,医学校に入学するためには4年制大学の学士号とMCAT(Medical College Admission Testに合格する事が求められるわけですが,このMCATを時代にマッチした「よりよい」医師を選択するために改革するという動きがありこの改革についての紹介がされています。
physical sciences, verbal reasoning, a writing sample,and biologic sciences中心の試験から
2015年からa section on behavioral and social sciences, and a section on critical analysis and reasoning will replace the writing sampleを含んだ試験になるのだそうです。
日本ではこのような変革の兆しはありません。しかし,ぼくは日本の制度はなかなかによい制度だと思っています。
医者になるためには医学校・医学部を卒業する必要があるわけですが,その選抜が単純に学力試験だからです。
高校の時のボランティア活動だとかクラブ活動まで評価に入れられていたらぼくなどとうてい医学部への合格はおぼつかなかったはずです。ぼくはクラブ活動など好きでもなく趣味と言えば読書くらいでそれで大学に合格しただけの人間です。学力だけの試験だったからこそ医学部に入れて医者になれたのです。
どんな試験を行っても医者に不適切な人間はある一定頻度で存在してその頻度は試験によらないのではないかとぼくは考えています。
また人格を総合的に評価するような試験が可能だとしてそれに落ちたとしたらそれこそ人格を否定されたような気分になるじゃないですか。今の試験は「タダの」学力試験だからこそ落ちた人も浮かぶ瀬があるのだとぼくは思っています。
だからといって試験を難しくしろと主張しているわけではありません。ある程度は学力試験で絞り込んで最後はくじ引きというのはぼくはアリだと思います。また途中から参入する人がしやすい様な仕組みを作ることも重要だと思います。
NHKのドキュメンタリー「輝く女」<新>で北川景子さんが取り上げられていました。北川さんは医者を目指して受験勉強をしていた時があったそうです。なんであきらめてしまったのでしょうか。残念です。
この番組をぼくが観ていたら家内が横からああだこうだといってきてホントうるさかったです。いい歳して,いい加減にしてもらいたいものです。
某報告書やproofの処理の他に大量の書類も処理しました。このような雑用をいままで「文化的な雪かき」という風に思ってきましたがこれからは「雑巾がけ」と呼ぶことにします。ぼくがやっていることの6割はまさに「雑巾がけ」です。これは何かの修行なのだと思います。(「雑巾がけ: 小沢一郎という試練」)
今日の夕方一瞬出て消えたニュースがありました (参照)。後30分ほどで解禁です。
京大のキャリアパスの原田さんのお仕事がまとまったのです。
研究をやっている間は原田さんについていこうと決めました。
New York TimesにCarl Zimmerが昨今増えている論文のretractについてのessayを書いています。
実質的には昨日4/2から新年度スタートです。研修医の先生方のオリエンテーションが3日感続くと言うことで手術室では症例制限がかかっていて16:30にはすべての手術が終わりました。その後科内の某重要会議が終わりこんな当直もあるのだとすっきりした気持ちで過ごしていたところ21:00頃当直PHSにコールが。ただの事務連絡でした。
安心しきっていたところ0:00を超えた頃,緊急手術の申し込みが舞いこみまったくもっていつもの月曜日の当直の様になってしまいました。
京大病院初日のS登先生と麻酔を担当して結局寝たのが4:30位で睡眠時間2:30位で火曜日に突入となりました。
ご無沙汰していました。調べてみると3/23以来のエントリーです。
某原稿に取りかかっていました。
今回は結構勉強しました。論文は100篇以上読み込んだと思いますー普段論文を書くときはこんなに読みませんしメモを取ったりはしません。
ボールペンを持って線を引いたり○をつけたりしながら読む,必要に応じてメモを取り皿に付箋紙に書き取りその後の活用に備えるというオーソドックスなスタイルで読みそれに基づき内容を構築していくのです。
ぼくに振られたお題ははじめぼくには不適切と考えました。出版社の担当の方に連絡を取り,編集担当先生のお考えを確かめていただきその上で執筆を受諾しました。何かの「間違え」でぼくに振られた仕事をそのまま受けて「コケる」ことは避けたいと思いました。
結果としてすごく勉強になりました。この路線で実験もいくつか考えつきました。
今日原稿を出版社にsubmitして一段落です。
とにかく,こういったいわゆる「勉強」は久しぶりでした。
島岡さんのtweetがきっかけで本を一冊読みました。
“Quiet: The Power of Introverts in a World That Can’t Stop Talking”
です。
著者はSusan Cainさん
米国では今年の1月に出版されNew York Timesのベストセラーにもランクインした(今週はnonfiction部門で8位9週連続10以内をキープしています,Steve Jobsは5位でTHINKING, FAST AND SLOWは10位です)
Introvertsというのは「内向的な人」のことです。
人間を無理矢理分類すると約3割はIntrovertsと分類されるのだそうです。このような人々は米国では一般的には否定的に評価されるということがあるのですが,このような人たちの内向性をポジティブに評価していくというのか本書です。
内向的な人たちは物事を慎重に観察して,直ぐに判断してしまうのでなく深く考えることを優先して最終的には優れた結論を出す。また仕事に集中して自己啓発の能力が高いというのです。
例えばマイクロソフトのビル・ゲイツ誌などは本来的な内向的な性格を克服して大企業の指導者として成功したという例として語られます。
ぼくらは麻酔科医の医者なので外来に毎日出るわけでなく一緒に働いていて内向的であるという理由でネガティブな評価を下されることは無いと思います。
毎日同じ手術室で働いて諸事への判断を視ていればその人の能力を見誤ると言うことはほとんど無いと思います。
べらべらよくしゃべる医者にこそ要注意です。
研究室ではなおさらです。対象をしっかりと観察して適切な判断を下せるかどうかは外向的な性格であるかどうかとは関係は無いと思います。大学院生とも長いつきあいなので正確の内向性故にどうこうということはありません。
麻酔でも研究でも言い訳を「上手にする人」ほど手に余るものはありません。
“Quiet: The Power of Introverts in a World That Can’t Stop Talking”
はもちろんKindleでボタン一発($12.99)です。
たぶん翻訳されると思います。
著者Caine氏のTEDでのプレゼンテーションが視聴できます。(参照)
今まで10日ほどぼくへmailなど送ったのに反応がいまいちとお考えの皆さん,済みませんでした。明日からばりばり片づけます。
今日の嵐すごかったですね。阪急梅田駅も大混乱だったようです。(参照)
4月から所属が書類上すこし変わりました。外部の人にはほとんど関係ないと思います。ぼくがすこし忙しくなっただけです。
年間1万症例くらいの手術をうまく捌くスキルが身につけばどこの病院に移っても大丈夫だと思って少し真剣に取り組んで見ようと思います。
最後に本の紹介です.
門川さんの「研究留学術 第2版―研究者のためのアメリカ留学ガイド」が第二版となって出版されました。改訂でもすこしお手伝いしました。(参照)
このところいろんな仕事が重なり新しいエントリーの投稿が途絶えていましたが生きています。

すっかり暖かくなってきました。まだ何度か寒波が来るのでしょうが春が近づいていることは確かです。
昨日タクシーに乗ったら修学旅行の中学生,高校生の話を運転手さんが振ってきました。
T産タクシーは修学旅行生のタクシー京都観光のパイオニアなのだそうです。あるときバスが故障して敢行のハイシーズンで代替のバスが手配できない状況でバス会社から応援を要請されたタクシー会社の社長さんが「これはいけるで」ということで売り込みを始めて今では一社で150校の修学旅行を受けているのだそうです。やはりノウハウがあったりすると評判が上がり,口コミがあったりするので四国の某市では市内の中学全部がT産タクシーの顧客となっているのだそうです。こんなに多いのかと思って少し計算したのですが深くは追究しませんでした。
ぼくはタクシーの運転手さんとはすごくよく話します。ぼくが黙っていてもしゃべりかけられると受けてしまってぼくもしゃべっているという感じです。
一方散髪の時にはほとんどしゃべりません。しゃべりたくないので1000円カットで済ませるほどです。10年前に帰国して以来散髪に1500円以上を払ったことはありません。
アメリカにいたときは困りました。初めての散髪屋で「ここをこう短く」とか説明することは自分にはとてもできないと思ったので家内に散髪してもらっていました。日本から散髪キットースキカルーを持参していましたのでそれでやってもらったのです。はじめはすこし虎刈りになったりして恥ずかしかったのですがそのうちに家内の技術も向上し気にならなくなりました。それでも家内の機嫌が悪いと散髪してもらえず仕方なく二回ほど近くのsupermarketの横の散髪屋に出かけました。ほんとよくしゃべるオヤジで閉口しました。どこで働いているのかとか日本のどこから来たのかだの,京都ってすごいんだろうかとずっとしゃべっているのです。相手をしていたらすごく疲弊してしまいました。ホントいい加減にしてもらいたいと思いました。
冷泉彰彦さんの「「上から目線」の時代」を列車で読んでみました。
”「バカの壁 」から始まった”という説き起こしで始まる現代日本人のコミュニケーション論です。つまり一見高飛車ともいえる「バカ」という言葉を含んだ「バカの壁」が何で400万部以上の大ヒットとなったのか,なぜ養老氏は「バカ」という言葉を使っているのに「上から目線」との批判を受けなかったのかという点から議論が始まっているのです。
メルマガでの鋭さから一歩後退した様な感じですがネタとして十分楽しめる本だとおもいます。
これをきっかけに「バカの壁 (新潮新書)」を読み返してみました。「バカの壁」というのはそこら中にあると再認識しました。
以前のエントリーで「バカ比」というものについて考えた事があります。
バカ度=本人の属する集団の平均知能/本人の知能
バカ比=本人の知能の自己評価/本人の知能
=バカ度x(本人の知能の自己評価/本人の属する集団の平均知能)
=バカ度x俺っていけてる度
バカ度より、バカ比のほうが集団への迷惑度と相関が高いのは経験的にあきらかだ。
というものです。
ここでいう「バカ」は普通の意味での「バカ」ですが,「俺っていけてる度」は「バカの壁」の
「バカ」と関係が深いと思います。
脳化が進みすぎるといろんな弊害を生みます。
医者の「俺っていけてる度」って異常に高いと思います。
やはり入学試験の制度を変えるしかないのかもしれません。(参照)
これって「上から目線」なのでしょうね。でも仕方ありません本当にそう思っているのですから。
実は昨日の夜,研究の面ですごいニュースが飛び込んできたのですがまだ内容を明らかにできません。












