日当直です。
朝から16時頃までは快調に進んできたのですがそこからさっきまで手術室にいました。
腹が空くとイライラするので大華定食を食べてしまいました。
緊急癖というのは続くもので木曜日の夜から断続的に麻酔をしています。困ったものです。
そもそも木曜日に妙なタクシー運転手に当たった時から運命が決まっていたような気がします。簡単な顛末はこちらです。
Steve Jobs氏が亡くなりました。New York Timesの電子版では丸一日トップニュース扱いでした。日本の各紙でも社説で彼の死に触れていました。
これはしかし当然かもしれません。彼は資産価値が世界一二位を争う企業の創業経営者だったのですから。
日本経済新聞に「私の履歴書」というコーナーがあります。登場するのは上場企業の社長とか会長さんです。かなり面白い時もありますが殆どは妙な自慢話です。しかしこのように世界は彼らを中心に廻っているのかもしれません。
ぼくはアップル製品はMacintosh Plusからのつきあいです。あのカワイイ箱が実はコンピュータだとは信じられませんでした。あのPlusを使うことで魔力にとりつかれました。あの日の出会いがなければこのような信仰を持つことはなかったと思います。
以後現在に至まで自分でお金を出して買ったコンピュータはMacだけです。iPodは4台は買ったし,iPadも二台持っています。
以前のMacは現在ほど堅牢なものではありませんでした。直ぐにフリーズする妙な代物でした。
それでも使い続けたのはその時分ぼくが仕事にMacを使っていなかったからだと思います。HyperCardでいろんなStackをつくったりモデムでNiftyServeにつないだりするのが主な目的で論文や申請書などはぼくの日常生活で作ることはありませんでした。
仕事に使い出したのは今から15年ほど前に曲がりなりにもInternetが大学周辺では普通にあるという環境が整備され電子メールを中心に研究にはなくてはならないものになった頃からです。
それと時を同じくしてアップルの快進撃が始まりました。ぼくはfileと言う過去の資産を余りに多く抱えていたのでどうしようも無くそれに付いていくことになったのでした。
ある意味決定的だったのはMS WORDがMacで動くようになったことだと思います。当時ぼくの使っていたword processorはNisus Writerでこれは非常に優れたものでしたー今でもありますー。これで論文を仕上げるのですが結局投稿ではWORDのfileを要求されるのです。つまりXX.docでないとダメ。MS WORDがMacで作動しない時代であればぼくもある時点でMacを放棄しないまでもWindows機かDOS機を使う必要があったのですがぼくが論文を書き始める時期にはMS WORDがMacで作動するようになっていたのです。これがぼくがMacを使い続ける事のできたつまり信仰を守ることのできた理由です。
ハッキリ言って初期の熱情はとっくに冷めて,その当時は,Macに惚れ込んでいたというより”The Computer For the Rest of Us”というMacのキャッチコピーのそのままのコンピュータ音痴であったが故にMacユーザーでありつづけたというアップルの戦略にそのままひっかかった人間だった訳です。
だって健次郎先生も熱心な信者だったのです。あの人何回言っても自分でいろいろfolderを操作してmailerの「ユードラ,Eudora」を機動不能にしていました。
たいした事はありません。その意味では幼児洗礼を受けた信者の様なものだったのです。
以後いろんな内的な葛藤を持ちながらMacを広める使徒の役割を果たし何人もの異教徒の改宗に成功していきました。
説得した訳でなくMacで正しく開くことのできるfileをぼくに提出することを強要しただけです。
年に数回開かれる教祖の説教の様子はいまでは簡単に手に入りますので英語で一回は拝聴します。
定期的に教会本部が主催する説教とは別にStanford大学で教祖が行った「山上の垂訓」はiPodにいれて何度も聞き直しています。
15分ほどの長さですけど教祖を紹介するStanford大学の学長さんの教祖を讃える短いスピーチも含めてまさに「福音書」のクライマックスのエピソードの一つです。
”Stay Hungry. Stay Foolish.”で終わる例の説教ですね。
島岡さんも言っていますがぼくはStay Hungry. Stay Foolish.には何にも感じません。たぶん自分がバカだから。むしろ
And that is as it should be, because death is very likely the single best invention of life. It’s life’s change agent; it clears out the old to make way for the new. Right now, the new is you. But someday, not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away
という部分に感じ入ります。
どこでも爺は(少なくとも比喩的には)死んで退場すべきであり後は若者の時代が来るべきであると常に考えています。
どこの教祖さまも一緒ですがアップルの教祖も実はなかなか大変な人であったようです。そりゃそうですよね。
偉大な発見を生み出す研究室もこんなノリだと思います。これについてはまた書いてみようかと思っています。
たぶん身近にいたらJudahの様な気持ちを抱く者も出て来ると思います。
最後に今日のtweet。
夏目漱石には「可哀想だた惚れたつて事よ」つまり「Pity’s akin to love」とうのもありますよね。
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
Matthew 5:46
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
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