論文のproofという作業はあまり好きでありません。
無責任なようですがもう通ってしまった論文の粗を探す作業がなんか後ろ向きで好きでないのです。公刊された自分の論文などほとんど読み返しません。アメリカにいたときぼくの論文を何十回も読んだという研究者に会って引いてしまいました。
とにかくテキストで振ったfigure番号と実際のfigureに齟齬があると何を言っているのかわからなくなりますのでこれだけはしっかりとみないと、言う感じでやっています。
今回はそういった間違いはやっぱりありましたが一個だけです。”of”と”-”が抜けていたのを一カ所づつ見つけました。
編集の段階で”the”を挿入された箇所が二カ所で結構いい感じでした。
柳田先生のブログに”おきなわ晴れ、国際誌編集からみる日本人研究者気質”と題されたエントリーがありました。(参照)
少し引用させていただきます。
編集をやってるあいだに、気がついたことがあります。
そうじて日本人のレフェリーはコメントがきびしいんですね。そして、論文著者への要求がきつめであることに自分で気がつかない、こういうタイプの傾向が強いことです。ときたま、個々の編集者がハンドルしている、論文に対するコメントをみて感ずることです。しかしコメントは悪意にもとづいていませんから、しかたがないかな、といわざるを得ません。
このジャーナルの人気がもう一つ上がらない原因も実はこのあたりにあるようです。つまり、真面目に対応すれば最低3か月、下手すると半年かかるようなコメントがあるので、このクラスのジャーナルでそれだけの努力をする価値があるのか、そう思う論文の投稿著者が多いようです。直接何人もの人たちに言われました。
この傾向はあると思います。某国際雑誌などレフリーコメントが日本語だったりしてほんとひどいというか言いたい放題のコメントが書いてあったりします。どう考えても悪意だろうと邪推をすぐしてしまいますぼくは。すべてのWesternを5回やって統計的な処理をしろとかそんな類のコメントです。同じことを英語で書けるものなら書いてみろとか本気で思うし、雑誌の標準というのをよく考えてコメントしてもらいたいと思います。また国際雑誌を標榜する以上コメントは当たり前に英語に限るべきです。
すこし怒ってしまいました。済みません。
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