昨日6月18日は所属大学の創立記念日で病院も連動して休診で
予定手術はありませんでした。
前日木曜日は当直でした。長い手術が12時くらいに終わり研究室でやれやれと一息ついていて机で寝てしまいPHSの音で起きたのが 1:30くらいですぐに始まる帝王切開がありました。昨日はこれも入れて二例の帝王切開がありました。何例やっても緊急でも予定でも帝王切開は緊張します。
二例とも無事終わって寝たのが4時過ぎで、起きたのが6時半くらい。
すこしボーとして術後インタビューで病棟をめぐり当直の引継ぎをして電話での術後インタビューを終えて金曜日の仕事はおしまい。
当直のあとで麻酔がないのはすごくうれしい。
創立記念日といっても大学院生にとってはただの平日ですので9時くらいには全員集合。
11時半からすこしではなくかなりseriousな内容の臨時lab. meetingを済ませてみなで昼食に出かけたりしてかなり充実した一日を過ごせました。
論文の作業もかなり進みました。
十両のよこわ定食です
先生方にお願いしていた症例報告も二つ初稿が来てすこし気合を入れてこなしていく必要があります。
今日のような時間が周囲に一日でもあれば進むのですが…
New York TimesにRethinking the Way We Rank Medical Schoolsという記事が載っていました。
職場は大学病院であり全国各地から患者さんが集まります。さまざまな理由はあると思いますが、大学の権威を求めてはるばるやってくる患者さんがおられることは確かです。
現実の所属大学の医学部の医学科は入学試験が最高に難しいと一般には考えられていますし、長い歴史の中で数々の大きな業績が基礎医学・臨床で生み出されてきたことも事実です。医学部ではありませんがノーベル賞学者を何人も輩出してきてもいます。
このような外形的な権威が患者さんをして職場への受診を促していることは事実だと思います。
記事でも指摘されているように
The thought process was easy — good school, good doctor; bad school, bad doctor.
という思考過程です。
しかしそれは一面的にすぎるというのがこの記事のまたこの記事で紹介されている論文(The Social Mission of Medical Education: Ranking the Schools Ann Intern Med June 15, 2010 152:818-819)の趣旨です。
米国の医学校は非常に多様である特に”social mission”への貢献度でその差が著明であること、主に研究資金の額や主観的な学校の”評判”に基づいたランキングとsocial missionへの貢献度のランキングには大きな異同があるというような内容が紹介されています。
ぼくらの大学の学生の教育は従来はあまり熱心とはいえないものでした。学生の能力が高いので適当に放っておけば国家試験など合格したいと思う学生は適当に勉強して結局は合格するという放任主義だったと思います。それより学術的にレベルの高い研究環境に学生が置かれることで自分で何かを学んで、基礎研究、臨床研究を通じて医療を変革するリーダーが育つのだという信念のようなものを教員が持っていてそれでなんとかつじつまがあってきたのだと思います。
これからの時代にこういう考えが通用するのかまたやはりこういう考えが正しいのかが検証されていくのでしょうか。
NYTにはこんな記事
もありました。
また毎度ながらひどい新聞報道です。
【毎日jp】都立府中病院の医療事故:点滴速度10倍に、男性患者死なす 看護師書類送検 /東京 http://bit.ly/doVIGe
Biochem J 8 Jan 2010
Schofield氏のlabから かなり示唆に富む良い論文だ思います。
Biochim Biophys Acta 15 Jan 2010
一昨日紹介した論文とは異なる機序によるのかな まだ詳しく読んでいないので不明
なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? —標準的ファイナンス理論からの考察—というブログのエントリーがあります。
少しびっくりしました。ネタだと直感で思いました。
もちろん、受験勉強の才能と技術開発競争やビジネスの才能は同じものではないということはいうまでもないが、ある程度は正の相関があることも確かで、やは り日本の理数系の才能が、必ずしもそういった素養が役立つわけではない医師という仕事に独占されているというのは大きな社会的損失という他ない。
こんなことが書いてありましたが医学部の学生や医者の能力をかいかぶっておられるような気がします。そんなに大げさな能力でしょうか。ちょっと試験のデキが良かっただけのような気もします。
その割には医者の仕事を誤解しているような気もします
医師の仕事の多くが厚生省の官僚と製薬会社によって定型化されており、必ずしも理数系の才能が必要とされるわけではない。
また、外科手術のような分野は、受験勉強の才能より、手先の器用さといった素養がより重要であることはいうまでもなかろう。
こんなに単純な話ではないと思います。手先の器用さだけで外科医は務まらんよ。一回朝から手術室を見学したらどうでしょうか。
このエントリー中の医師の年収の分布をみてびっくりしました。これで卒後10年目の医師のデータだそうですが家内には見せられませんね。怒られてしまいます。
最後に
しかし、筆者のように無私の心で、世界の貧困問題を解決するため、日夜、金融市場で流動性を提供するという社会的に掛け替えのない職務を遂行してきた人間 でさえ、世界的なポピュリズムに迎合する無知な政治家の犠牲者となり、いわれのない懲罰的課税を科され大幅なボーナスの減額を余儀なくされたのである。
そのことを思えば、お医者さんの給料が半分になることぐらいそんなに大したことじゃないのではないだろうか?
これはネタとしか考えられません。自分のボーナスが減ったことが何か関係あるのでしょうか。
医学部を卒業しなくとも医師国家試験を受験する道を拓けば医者の数が増えて自ずと収入も調整されてくるのではないでしょうか。その頃にはぼくは引退かもしれませんが…
借りたDVDをみて、仕事をして、昼寝してという生活でした。
麻酔看護が麻酔の手伝いをことにぼくは徹頭徹尾反対というわけではありません。同じ意味で歯科医が麻酔をするのにも徹頭徹尾反対だというわけではないのです。ただ制度を作るとなるとな…
関心しました。まあぼくらは研究を絶対視してしまうことはあまりないわけですが-研究室を出ると人が死んだり生まれていたりする-
さて
“心が動けば医療も動く!? -医師と患者の治療選択-” (山下武志)
読みました。
Evidence-based medicineがすくなくとも
evidence/patient preference-患者の価値観/clinical expertise-医療側の技倆
の三つの要素で構成されていて患者の価値観、医療側の技倆は重要な要素ではあるのだがなかなか科学的な解析にかかりにくいので従来は”医療は科学でなくアートだとか”訳がわかったようなわからないような話お茶を濁されてきたのだが、リアルな医療ではここら辺はないがしろにするわけには行かないし”evidence”自体より重要な役割をはたしているということを述べたのが本書です。
著者の専門分野である心房細動の治療を例にとって説明しているのですがこれはあまりピントくるような具体例の提示とはなっていません。しかしこれは本書の価値をおとしめるものでは全くありません。
医学知識やevidenceなどは日々更新されていっていますが、患者の価値観や医者の技術などについての考察はほとんど古くなっていきません。医学部ではコロコロ変わるevidence部分を教えるのでなく優先すべきはこういった内容であるべきですが、実際そうなっていません。
医療問題にもいわゆる”バカの壁”があるのだということを本書は述べているのです。
全身麻酔に硬膜外カテーテルの留置を行うかどうかの判断などこの本で扱われる問題の好例となると思います。麻酔版の例を入れたバージョンも可能ですね。
残念なのは値段が高いことです。新書版で 1000円以下でもよいと思うのですが、内容が専門的なものを含むため一般書として流通するわけにはいかないのでしょう。しょうがないです。数年したら新書版でだしてみたらどうでしょう。内容的には10年後でも通用すると思います。
“戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)” (梶井 厚志)
も一緒読んだらよいと思います。
も読んだ。