先週の木曜日からお腹の調子が悪く空腹感というものが無くなっていたのですが一昨日から復調して昨日,今日にはお腹が空くという感覚が戻ってきました。
今週から朝は1時間早起きをして論文の作業を継続してます。結構進んでいます。

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英会話はスポーツだ」という本があります。著者は我らが諏訪邦夫先生です。

諏訪先生がご自身のページで,「英会話はスポーツだ」の続編的な文章「英会話はスポーツだ「実践編」」を公開されています。

序章をすこし長めに引用させていただきます。

議論ができなかった留学生の記事

読売新聞 2012 年 5 月 11 日の「大学再生」(第二社会面)に、こういう記事がありました。
アメリカに短期留学している学生の言い分です。 講師のビジネス論に対して、ドイツ人留学生が反論したが、日本人留学生はその議論を黙って聞くだけだった、と。
これに対して、当の日本人留学生は「自分の意見をどう伝えれば良いかわからなかった」と後でコメントしており、記者もそれに同意しているようです。
そんなバカなことがあるでしょうか。彼はドイツ人の留学生より格段に愚かなのでしょうか。知力のある学生のこの発言は納得できません。記者の同意にも不賛成です。 私の判断は違います。この記事を読んで私が感じたのは、彼は議論に参加するだけの「英語学力特に速度がなかった」ということです。それが私の解釈で、その点を当の留学生も記者も見落としています。
議論に参加する発言は即座に行わねばなりません。ゆっくり考えてモタモタ述べたのでは議論になりません。それが「自分の意見を伝えられなかった」という不満の原因です。 議論の仕方や知識の問題ではなく、英語力の問題です。それも英語を高速でつくって話す能力がないだけです。ドイツの人たちは、基本言語の構造がそっくりで、高速英作文は得意だから発言できたのです。 その点を留学生も記者も気づかずに、発言し記事をつくっています。

このように説き起こし,

英文を高速でつくるトレーニング 「英文を高速でつくる」トレーニングには、実際に「英文を高速でつくる練習」をします。それ以外にありません。前提として、英語の基本文型などはもちろん知っておかなけ ればなりませんから、なければそこにも努力が必要ですが、ここではその知識は一応あるとします。

という結論を導かれます。
そしてそのための「実践法」を紹介されているのです。

さすが諏訪先生です。いつもながら明快です。

これにぼくの体験に基づく意見を少し加えてみます。

1999年に米国に留学しました。それまでに外国で生活をしたことはありませんでしたので英語での生活はかなり不安要素でした。しかし忙しさにかまけて英会話教室に通うなどの準備はしませんでした。
到着してはじめにすべき生活のセットアップは先に留学していた皆さんのおかげでなんとかできました。
次に問題となるのは研究室での英語です。ぼくは相手の英語をしっかりと聞き取る能力が低いと自覚していました。なので研究室でその欠点が前面に出るとつらい留学生活になるのではと大変危惧していました。
幸いに受け入れ先の先生の英語はよく解りました。多分ぼく向けに明瞭に話してくれていたのだと思いますがとにかく彼の云うことはほとんど聞き取れて意味が理解できました。時々解らないことがあるのですがそれは言葉がわからないので無く意味がわからないのだということに気づき,自信を持って-つまり聞き返すことに負い目を感じること無く-質問をすることで解消できました。彼との会話の大部分は研究に関連したことなので彼が話している内容さえわかればそれに合わせていくらでも高速に英作文をしてそれを言葉としてはき出すことができたのです。これができると解った時点で研究室でのストレスは無くなりました。
しかし,最後までバーガーキングでの注文はストレスで,自分でしゃべるのは嫌なのですべて息子にやってもらっていました。

ぼくのポイントは,高速で英作文ができる前提として相手の話している内容をリアルタイムにほぼ完全に理解している必要があるということです。少なくとも研究の特定分野の知識は同程度には持っているという自信はありましたしその意味で彼の話すことの内容は自分には理解できるのだと思っていて話を聞くので結局「解る」のだと当時も今も思っています。留学の最後の方では,彼がどのような質問をするのかも大体解っていたのでそうなると楽です。
「自分の意見をどう伝えれ ば良いかわからなかった」というのは相手の話している内容をリアルタイムに理解できない場合には生じると思います。つまり出力の時の英作文の速度もありますが理解の速度の問題は大きく,その前提として議題への理解の深さということもあるだろうということです。
生活を続けていると聞き取り能力はどんどん向上していきました。FMラジオのニュースなどの内容というより言葉の一言一句が解るのです。米国のラジオのアナウンサーはとてもわかりやすい英語を話します。なのでかなり早口でも理解可能でした。一方TVのニュースを眼をつぶって聞き取ろうとしても完全に聞き取れるようにはなりませんでした。TVではLarry Kingは最後までほとんど聞き取れませんでした。captionの補助が無いと彼の番組は理解不能でした。
まとめると,議論の成立には相手の主張を理解する必要がありそのためには内容がそもそも自分の理解の範囲のものであることに加えて英語が聞き取れるというとこが必要である。また理解ができる範疇の議題については高速で英作文をしてそれをはき出していくのにはさほど困難はない,ということになります。

実はこれは日本語での議論でも同じですよね。
論点が捕まらなければ議論が成立しません。学会の議論なども盛り上がりに欠ける事態は聴衆が演者の講演を理解できていない場合に起こるのです。
また日本人は日本語が自由に操れるというのはおそらく一種の幻想です。学会の抄録集で抄録を100くらいしっかり読んでみたら解ります。

学会と云えばtwitterで興味深い「コラム」が紹介されていました。

大阪大学の近藤滋先生が雑誌「細胞工学」に連載中のコラムの内容をご自身のページで公開されているのです。

タイトルは「学会なんかいらないっ??!
近藤先生は 2013年の分子生物学会の会長をされるそうです。学会をいかに会員の喜ぶものとするのかについて現行の学会の抱える問題点を列挙されています。
例えば,

そもそも、研究集会がまともに機能するには数100人(できれば100人以下)が限度なのは、わかりきったことだ。国際的な研究集会であるキーストーンや、ゴードン会議などでは、興味の対象が共通の研究者を集め、大きすぎない規模の会議を開き、一定期間缶詰にすることで、有効な情報交換を可能にしている。有力な研究者は皆、そのような会議に集まるので、国際的な研究発表の場としてはそちらが本番になる。また、最近は、理研や国研、大学付属の研究所や研究グループが、似たようなスタイルで分野を絞った会議を開いているので、情報交換・研究発表のニーズは、そっちの方で満たされてしまう。1万人も集まると、「缶詰状態」にするのが不可能なので、そうした分野を絞った集会にはどうしても向かない。

と書いておれます。同感です。

とすれば「1万人規模の学会は何を目指すのか」という点から議論が起こる必要があると思います。
麻酔科学会にも当てはまるものは多く,会員がこぞって朝から晩まで参加しようと思える学会に変わることができると思います。
ASAのannual meetingを模した形式の学術集会開くという方針ありきでは皆が参加したい思わず参加してしまう学会にはなりにくいと思います。

最後に,論文の査読ってあれなんとかなりませんかね。
今年の一月から先週まででいくつかの雑誌に投稿された19編の査読しました。ほぼ毎週じゃないですか。これぼくには限界ですよ。ぼくは雑誌のeditorでもないしeditorial boardにも入っていないタダの現場労働者ですよ。
これをもし某雑誌のeditorのエライ先生方が読んだら今年は二度とぼくに原稿を送らないでください。今年一年分の仕事はもう済んだはずです。

英会話はスポーツだ

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関西地方会とツイ呑み

On 2011/9/4 日曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

台風一過というわけにはいかない妙な天気が続きます。
昨日,台風にめげずに麻酔科学会の関西地方会に参加してきました。
正式には第57回麻酔科学会関西支部学術集会です。島岡さんもお見えになっていました。

台風で暴風と思いきや家から駅まで傘を差さずに歩いていくことができました。
梅田に到着して会場までのシャトルバスに拾ってもらい結局傘を使うことなく会場に到着です。
皆さん様子見だったのか出足は鈍かったと思いますがお昼くらいには結構な集まりになっていました。午後一時の時点での入場者は460人程度ということでした。これってやっぱり少ないのでしょうか。何とか押し込めばすべて口演でいけたのでは無いかと思いましたがそうすると学会の企画に人が集まりにくくなるという問題点もあるのでしょうか。
朝一番のセッションで矢澤さんが医療用ナビゲーションシステムから発する赤外線がパルスオキシメーターの測定に干渉するという現象を報告してくれました。マンスリーでいつも質問をしてくれる先生にもほめてもらっていました。とうわけで無事終了。この発表の元になった症例報告を投稿していたのですがこちらも載せてもらえることになったそうです。よかったです。
そのまま気道管理のセッションを聴いてポスターに移動。
結局出会ったY崎先生とS藤先生と1時間ほど話し込みポスターはほとんど見ずにランチョンセミナーへ。

藤田保健衛生大学の竹田先生ー島岡さんのお師匠さんだそうですーの術後鎮痛の話を聴きました。
今まで余り考えたことのないトピックスも含まれていてちょっと興味を引かれました。

その後は医療訴訟と医療事故のお話を二題。弁護士の後藤 貞人先生と,東京女子医大事件の当事者となられた佐藤 一樹先生の話です。

佐藤 一樹先生のお話は今まであまり関心をもって調べた事が無かったのですが当事者からお聞きして仰天しました。ちょっと考えたらぼくでも解るような事を病院と警察,検察に曲解されて延々裁判に何年もつきあわされたのですね。
ぼくは医学は一応は科学だと思っているのですが,事故の原因追及に誰かの思い込みが幅を利かせる様な世界は怖いですね。
座長の瀬尾先生が最後に話していたのですが,この事件も,大野病院事件も青戸病院事件でも麻酔科医の関わり合いがほとんど明確になっていません。何ができて何ができなかったことなのかを検証するのも学会活動としては重要なのかもと思いました。

その後,同門の大先輩ー3人ーに45分くらいいろんな話を聴いていただきました。

最後は,小西さんの発表です。

デイ・サージャリー診療部で婦人科の手術を受ける患者さんの術前の飲水制限を麻酔開始一時間に設定してもなんの問題も無かったという100人規模の臨床研究の結果を話してもらいました。無事終わりほっとしました。座長の先生もほめられていたし。ちゃんと論文になってもらいたいものです。論文にしてpubmedに収録されないと何も無いのと同じです。一方収録されれば確実に文字通りに”歴史の1ページ”になります。

その後,リーガロイヤルのバーツイ呑み会

今まで顔と名前は知っていたが直接お話ししたことが無かった先生2人と1時間くらい清談。
よかったです。マンスリーとかそういった機会を捉えて続けていきましょう。

学会の表舞台でもSNSと麻酔科医をテーマにしたシンポジウムなど一回くらい企画してもいいのではないでしょうか?

正式に取り上げてもらえなくとも”裏”でやっちゃえば良いのですけどね。有力そうな企画にぶつけて見たりして…

婚活したらすごかった
読みました。婚活一回はしてみたかったなど思わされる話が満載です。以前に,
ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男を読んだときに感じた驚きと同種の驚きです。

今日は家にこもって査読を一つかたづけて後は某総説の finalizationをします。今週中には絶対に終える必要がありますから。

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「細雪」読み返しています

On 2011/2/6 日曜日, in book, books, Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

大阪はぽかぽかでした。

今日映画「冷たい熱帯魚」を観ました。
これにはヒットされました。でも家内は気分が悪くなったそうです。ゲラゲラ笑うテーマでは無いのですが否応なく笑ってしまうシーンが随所に登場するのもこの映画の妙な所だと思います。

テレビで放映されることは絶対にありません。

これと較べると「ノルウェイの森」とかタダのおとぎ話ですね。

こんな tweetがありました。(参照

ある事象に詳しい人A、積極的に外部発信する人B。必ずしも、知識レベルで、Bの方が、Aより上とは限らない。しかし、知識と外部への発信力は、まったく別次元の能力である。

これって受け手の側からすると悩ましいです。 基礎的な学問の領域,実は臨床でもBのような人のからの発信のレベルでは信用できない場合があり,やはりAの人の意見は常に参照したいと思います。しかし自分の目の前にいる人がAなのかBなのかはその分野に詳しくないと解らないという問題があります。そもそも自分がレベルAであれば人の話など聴く必要は無いのでしょうから,結局,自分が詳しくない分野に関してはその分野のAレベルの人の意見を聞くまでは判断できないということになります。
学会・研究会でのプレゼンテーションにもこの問題はつきまといます。弁舌鮮やかに話す人には声がかかり講演の機会は増えるでしょうし寡黙な専門家の講演の機会は少なめになると思います。何度も登場する人がAレベルの人なのだと誤ってしまうこともあります。

もう少し続けてみます。

この場合の「外部発信力」って,単純に話がうまいとかそういったことではなく発信への意志なども含む総合的なものだとは思いますが話をすこし単純化して学会などの講演に話を限ってみました。

いろんな学会,研究会があります。ほんと無数にあると言っても良いくらいです。麻酔関連でも麻酔科学会,その地方会,臨床麻酔学会,集中治療学会,小児麻酔,産科麻酔,老年麻酔,静脈麻酔などなどこれ以外にも,もっとあります。

こういう会では一般的な演題の他に教育的な講演がセットになっていることが多いです。

新薬の紹介などがテーマになることが多いと思います。

しかし,例えば米国ですでに何年間も使用されているような薬剤の場合すでに総説も何編も出版されています。要するに総説を読めば済むような講演を何度も聞かされるのは苦痛です。

またいまだに末梢神経ブロックだとかERASだとか言われても困ってしまします。

新しい視点を提案してもらうとありがたいです。

このような,基本的な知識を伝達するような教育的な講演は学会がアレンジしてそれをweb上に公開してもらいたいと思います。内容の面でもそのプレゼンテーションの面でも水準以上のものができあがると思います。

また臨床系の学会に基礎研究の講演が企画される場合があります。

明らかにその分野の権威が招待されて登壇される場合もありますし学会の中で基礎的な研究をされている人が登壇する場合もあります。前者では時々聴衆のレベルを超えたり興味と合致しない内容になる場合があります。しかしこれは問題では無いと思っています。最先端の研究を牽強付会的であっても臨床医学にひねって結びつけたようなその意味では「面白い」研究が聞ける場合もあります。うまく合致しなくともこれは選んだ人の問題だと思います。

一方「中の人」なのに聴衆のレベルを無視したようなおどし的に大量のそれも他人のデータを突っ込んだものを出されても理解できるはずがありません。またどうせ麻酔科医にはこんな「高級な」ことは理解できないだろうという感じの講演もno thank youです。さらにストーリーありきの講演も困ります。

そんな場合,突っ込んだ質問をするとたいていはぐらかされます。

職業としての科学 (岩波新書)
をざっと読んでみました。
気体が大きかったのですが大当たりとは言えないと思いましたがそれでもなお職業科学者になろうと思うひとは一回は読んでおいて損は無いと思います。

心臓外科医の覚悟 角川SSC新書 医師という職業を生きる (角川SSC新書)

この外科医のいる病院の麻酔科に勤務してなくてよかったと思いました。
ぼくは自分が平凡な医者なので「名医」は苦手です。理解のできないことを頭ごなしに言われると反発してします。「名医」とはそりが合わないのです。

先週から思い立って「細雪」読み始めました。文庫本で900ページくらいあります。
これで三回目です。

やっぱり面白いですね。あと一週間くらい楽しめます。

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