日本の麻酔科医が発表した数多くの論文についてその正当性が疑問視されて当該麻酔科医が所属する日本麻酔科学会が5月に調査委員会を立ち上げて一連の問題について調査を行いその結果を先頃発表した(参照)。不正論文の「世界記録の樹立」ということで多くの一般報道もなされた。ぼくも日本の麻酔科医の一人なので自分のメモも兼ねて少し書いてみる。
報告書に依ればこの麻酔科医の発表した論文のほとんどに不正が認められたと結論している。
5月に麻酔科学会が調査委員会を立ち上げたと聞いたときまず考えた事はこの委員会の調査権限のことだった。
当該麻酔医は日本に住んでいるので学会が調査委員会を立ち上げて聞き取り調査などを行うとしてもそれは可能かもしれないが,本人が学会による調査を拒んだ場合はどうなるのだろうかとナイーブに考えてた。
結局本人と関係者の多くが麻酔科学会の調査に応じたようだ。
また本来この調査は該当麻酔科医が所属した研究機関や病院が行うものだと思った。実際4/6付けの23の雑誌の編集長による共同声明の宛先は各大学の医学部長,病院の院長,麻酔科の主任教授となっていた。学会の調査が,大学,病院から委託を受けての調査なのか公益法人たる責任上行った調査なのか不明だった。この部分についてもっと丁寧な説明をすべきだと思った。
麻酔科学会は以下の再発防止策を提案しているがこれが有効かどうかはわからない。
- 国内外ジャーナルの査読機能を高めることに資するべく,本件の全容を日本語および英
語で公表する. - 医学研究施行と報告上の倫理規定について学術集会,セミナー等を毎年開催し,周知す
る. - 研究施設の責任者,筆頭著者,共著者の医学研究施行の責務について改めてガイドライ
ン等でまとめ,周知する. - 疑わしい論文に関して,情報提供を受けつけ,調査する体制を学会内で作ることを検討
する.
いろんな「研究」がある。学会などで質問しても答えをはぐらかされたりするとその研究の当否については自分で追試を行う以外判断の基準がない。しかし,自分で追試をして同じ結果が得られなくともその研究で提示された結果や結論が間違っているとは言えない。ぼくが再現できなかったというだけである。
査読でもその度にその研究者の論文を10編も20編も読み込んで査読をするわけにはいかないのだから論文の審査の段階では詳細なチェックは無理だ。
手口も,馬脚を現さないような巧妙な不正もありうる。逆に,画像を使い廻すなどの単純な場合はほんとうにタダの取り違えではないかと思うほどだ。
専ら研究者の倫理に訴える基礎研究に較べて,臨床研究には厚生労働省から研究者が遵守すべき倫理指針がある意味明確に示されている。(参照:「臨床研究に関する倫理指針」)
つまり患者さんにちゃんと説明して同意してもらう必要があるとか試料の取り扱いには気をつけてくださいという内容である。
今回の一連の論文の多くは臨床研究であったしきっかけはいくつかの論文は研究施設の倫理委員会から適切な了承を得ていなかったという点で論文が雑誌から撤回されたことであった。
一方先に報道された慶応大学の呼吸器外科での医療倫理違反行為事例(参照:本学医学部・病院で発生した医療倫理違反行為についてのお詫びならびに対応と再発防止策に関するご報告)では,患者の同意無く手術中に骨髄から髄液を採取したという事実が大学の調査によって認定されこれが倫理違反行為とされたようである。
関与した慶応大学の教員が二名おそらく引責辞任をしている-もしかしたらタダの一身上の理由の辞任かもしれませんが-。
倫理委員会の承諾を得る前に患者から試料を無断で採取すれば後に倫理委員会の承諾を後付で得ようとも「有罪」となる。明快である。
この事件は海外でも報道されている。
“Report: Japanese Anesthesiologist Fabricated Data in 172 Studies“と題された文章は経緯や背景についてうまくまとまっていると思った。
しかしすごい事が書いてある。
Dr. Steen has been considering a formal study of whether anesthesiology is more vulnerable to fraudulent research, but has not yet launched such an analysis. One possibility, he said, is that anesthesiologists who conduct randomized controlled trials may have less oversight than other specialists, such as cardiologists or neurologists. If so, those who want to fabricate their results would have an easier time doing so, he said.
(太字はぼく)
“New record for faking data set by Japanese researcher“においても
Assuming all of the fraudulent papers get retracted, Fujii will set a new record for the most retractions ever, more than doubling his closest competitor. At Retraction Watch, where they follow these issues closely, they’re pondering whether anesthesia itself has a problem . Of over 2,000 papers that have been retracted over the last four decades, a full 13 percent have involved anesthesiologists.
(太字はぼく)
などと言われていてまるで「麻酔科医」は「バカ」扱いであるがそう言われるとそう思えてくるから不思議だ。
麻酔科学会は今回の調査を受けて麻酔科医個人への何らかの対応を行うようである。
もっとも程度の高い処分は「除名」である。学会の認定では共著者の責任もゼロではない。これも含めてどうなるのでしょうか?
ある新聞報道には
「昇進して教授を目指していたのではないか」。29日の会見で、調査特別委員長の澄川耕二・長崎大教授は捏造の動機をこう分析した。大学に勤める医師は教育・臨床に加えて研究も重要な業務で、論文はその結晶だ。
ある麻酔科医は「教授選では多くの人が、その人物より論文が載った雑誌のインパクトファクター(IF、雑誌の影響力を示す数値)を基準にする」と語る。
IFは雑誌によって1未満~30以上とばらつきがあるが、藤井医師が論文を投稿していた専門誌のIFは5~3と「それなりに一流」(澄川教授)だった。だが200本以上の論文を量産しながら、藤井医師が教授になることはなかった。
「一流誌に載れば周囲からほめられる。(藤井医師にとって論文投稿は)麻薬のようなものだったのでは」と語る関係者もいる。
とある。
このあたりからはすごくいやらしい印象を受けた。調査には相当の労力が掛かったと思うが,このような感想みたいなものが出てくると気持ちが悪い。
日本の麻酔科の「教授」ってこんなこといえるほどエライ先生ばっかりなんでしょうか。研究を行っている人が皆「教授を目指している」って本当なの? それでは麻酔科学会は全ての大学の麻酔科関連教授の全ての研究についてその正当性と有用性の証明を当人に行わせてみたらどうだろうか?
「教授選では多くの人が、その人物より論文が載った雑誌のインパクトファクター(IF、雑誌の影響力を示す数値)を基準にする」ってウソだよね。正当性は本人してもらうとして有用性は今の時代大学で契約している値段の高いサービスを用いなくともgoogleで論文の引用回数などを調べることが簡単にできるから麻酔科学ではいかに「インパクトファクター」が反映されていないかが解るのでは。
,というようなことを考えてみたくなる。
連休最終日は日・当直です。
午前中に仕事が済んで午後から研究室にいて雑用をこなしていました。夕ご飯を食べ過ぎてさすがに電池切れで集中力が無くなってきました。
昨年は何をしていたのかと思ってカレンダーを見なおしてみたらこの期間に二回くらい当直していました。
昨日,久々に映画館に行きました。
「ルアーブルの靴磨き」という映画で超満員で立ち見の人も多数いらっしゃいました。あの映画館があんなに入ったのを見たのは初めてでした。
New York Timesに
A Sharp Rise in Retractions Prompts Calls for Reformという論説が掲載されていました。Carl Zimmerによる文章です。さすがに読み応えがあります。
しかし,そもそもこういった問題は,制度の改善によって克服できる問題なのでしょうか?
ぼくは,こういった問題は研究者という職業が成立している以上無くなることは無いと思っています。
論文となっている研究成果も「話半分」とぼくは,思っていることもあります。学会・研究会での質疑応答の過程で「何か変だな」と思うこともあります。質問をいつもはぐらかす人がいて,その人(達)の研究成果は割り引いて考えるようにしています。ぼくの研究が,逆にそう思われいることもあるかもしれませんがこれは仕方ありません。
皆に嗤われるかもしれませんがぼくの行う基礎研究の目的は「世界観の変革」です-今日も大学院生にそう話したらすこし引かれました-。つまり,他人の考え方や行動に影響を与えるような成果を世に問うことを研究の目標としています。「バタフライ効果」を狙っています。そのためには少なくとも研究成果が他人の目に触れるような形で発表される必要があります。学会での発表もその一つですが,不十分です。すくなくともMedlineに収録される形で発表したいと思います。なので行った研究は論文としてまとめたいと思うし,そうなるように仕向けていきます。negative resultを報告する目的でpositive resultsを抱き合わせることもあります。
どの雑誌に発表するかは常に意識していますが,気にしても仕方ない場合もあるので,すんなり掲載してくれる雑誌を選ぶことが多いです。
今現在ではそんなことを気にする必要のない立ち位置に自分がいるということもあります-求職中だとかそういった立場にはいないし,大型予算をもらって見合った研究成果を出す日宇用があるというような立場でもありません-。院生の皆にはその点で迷惑をかけているかもしれません。ぼくがもう少しじっくりと構えてまたもう少し聡明であればもっと「上の」雑誌を狙うことが可能だったかもしれないからです。
しかし,目標・目的はどうであれ,実験医学にはお金がかかります。このための資金をどこかから調達する必要があります。特別な場合を除けば,「実績」-要するに査読付きの論文です-がないと調達に失敗します。特に公金が研究資金の場合は,普通の研究費であればあるほど課題採択には,コネなどはほとんど役に立たず,客観的な根拠が必要です。
「実績」にもランクが存在します。雑誌でも査読の有り無し,査読がある雑誌でもいわゆるimpact factorの高低などが問題になります。日本語の商業誌にいくら論文があっても無いよりはよいかも知れませんが査読付きの論文数がある程度の数なければ研究費の獲得には支障が生じます。学会の招待講演やランチョンセミナー何度講演をしても日本学術振興会の科学研究費の申請には記入する欄すらありません。
結局,「実績」として論文が必要なのです。
ここで振り出しに戻りました。
ArXivのようなサーバーに論文が登録されつまり論文を出したい人は一定の形式を満たせば研究を世に問える,その後の研究の評価は業界に委ねるというというような制度になっていくつまり「Faculty 1000」とかSNSでの評価などで研究をある程度の期間を経て評価するような仕組みに移行するしか「解決法」はないのではないと思います。
ちょうどNew York TimesにScience and Truth: We’re All in It Togetherという論説が出ていました。
少し前からある日本の麻酔科医の行った一連の研究が物議を醸しています(参照)。日本麻酔科学会でも調査委員会を作ったそうです(参照)。
(英文の声明も出ていますが,何を言っているのかわかりにくい文章ですね。)
学会にどのような調査権があってどのような調査ができるのかは不明ですが,全体像の整理などは行う事は可能なのでしょうか。障害はこれ以外にもたくさんあります。例えば10年前の研究について記録がどれくらいしっかりと残っているかどうかも不明です。
学会の規定に
理事会は,第3条に規定する行為をなした疑いのある会員の存在が判明したときは,直ち
に当該行為に係る調査特別委員会を設立し,その事実の有無,内容,程度,状況等を調査
させなければならない
とあるのですがこれを受けての設置なのでしょうか。
その結果,
研究者あるいは医師としての社会的モラルや品位にかける行為であり,それがこの法
人の名誉および社会的信用に影響を及ぼすおそれがある行為
であると認定されると処分される可能性がでてきます。
最高のランクの処分は「除名」です。
JAMAに以下の様な論文が掲載されていました。
Characteristics of Clinical Trials Registered in ClinicalTrials.gov, 2007-2010
無数の臨床研究が行われているわけです。ClinicalTrials.govに登録されているような「しっかり」していると思われる臨床研究でさえこういう実態なのですからぼくらがちょっとやってみる臨床研究にどんな意味があるのかはよく考えないといけないことだと思います。
集中治療医学会から「日本版敗血症診療ガイドライン(案)」が発表されていて時間があったので眼を通してみました(参照)。有名な2008年のガイドラインとどこがどう違うのかなどについてまとめた表などがあると助かると思いました。ぼくのような不勉強な人間には一読してそれがわかるようにしてもらいたいです。
臨床上のすべてのエビデンスは自分の眼の前の患者に対して有効かどうかを自分で決める必要があります。このガイドラインを聴衆の前で「解説」解説することはそう難しくないと思いますが,手術室・集中治療室で患者に適応することはそう容易ではないと思います。
「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」
ということになります。
このようなガイドラインを前にしてぼくらが取る態度としてこのtweetのような健全な感覚は持ち続けたいと思います。
水村美苗さんの「母の遺産―新聞小説」を読みました。堪能しました。
ネットで評判のページです。
1987年の文章とは思えない今日性を持っていると思います。
大学院は必読です。
- 心を鍛えることが最大の防御
- 定期的に論文を出せ。しかしやり過ぎるな
すこし引用します。
だから、「完璧な」論文などできないのだと悟らなければならない。なんにでもそうであるように、欠陥はかならず見つかる。あなたが得ることのできる限られた時間、お金、エネルギー、励まし、思考の範囲内で、できるかぎり良いものをつくるようにすることだ。
いつもぼくが思っていることです。(参照:「でもしかたない。与えられたものでやっていくしかない。」)
論文を出さないといけないというプレッシャーは、ジャーナルの質も知的な生活の質もダメにしてしまいつつある。すぐ忘れ去られるような小さな論文を次々と出すよりは、質が高く広く読まれる論文をいくつか出すというのがずっとよいのだ。現実的にならなければいけない。ポスドクの地位を得るために、そしてさらに大学に職を得て、さらにテニュア(終身在職権)を得るためには、論文を出してないといけないだろう。しかし、本当に質のあるまとまりとして研究を組み立ていければ、それは自分にとっても研究分野にとっても良いことをしているのだ。
ほとんどの人は、本当に重要な論文をほんの数本しか書いていない。多くの論文はほとんど引用されないか全く引用されない。10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ。引用されない論文は時間と労力の無駄だ。量ではなく質を高めよ。これには勇気と粘り強さが必要だが、決して後悔はしない。年に一本か二本、考え抜かれた、重要な論文を査読のあるよい雑誌に出すならば、それで十分きちんと仕事をこなしていることになる。
「10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ」って真実だと思います。引用されない論文は「産業廃棄物」と同じです。また,「年に一本か二本」も重要です。論文0だと何とも評価できません。
ホームランを打ち続けることは限られた人というか恵まれた研究グループにしかできません。
そうでない人は確実にヒットを打って出塁してたまには二塁打,すごくいくとランニングホームランがでたら儲けものだと思っています。
最近出版されたホームラン級の研究を二つ。
- A Mechanism for Gene-Environment Interaction in the Etiology of Congenital Scoliosis
Cell, Volume 149, Issue 2, 295-306, 05 April 2012 - Adora2b-elicited Per2 stabilization promotes a HIF-dependent metabolic switch crucial for myocardial adaptation to ischemia
Nature Medicine (2012) doi:10.1038/nm.2728
すばらしいですね。
脱帽です。
バイオパンク―DIY科学者たちのDNAハック!
とう本が出版されています。パンクはpunk rockのpunkです。
21世紀はバイオだ。バイオを大学の研究室からハッカーの手へというコンセプトを実例を挙げて紹介しています。
“Tinker”という言葉がカギです。フランス語に「ブリコラージュ」(Bricolage)という言葉があります。それをする人を「ブリコルール」(bricoleur)と云うのですが本書では,tinkerにはそれと同等の意味を持たせています。
自宅のキッチンでというのはなかなか難しいですが,研究はやろうと思えばどこでもできます。大学でないと研究ができないというのはアイデアと実行力が足りないと自分で言っているようなものです。ただ廻りに理解者は必要だと思います。
この本すでにぼくの基準では今年のベスト3入り確定です。
Amazonでは品切れですね。ぼくはkindle版を買いましたがkindkeでも$16.35もします。英語は平易で普通に理系の人達にとって読むのに何の不自由も無いと思います。