ある論文の査読に4時間も費やしてしまいました。ちょっとおろそかにできない感じがしたので気合いを入れました。
眼が痛いです。
HIFネタです。ホント最近すごいですよね。特に”Cell”系の雑誌でのHIFのモテ方は異常なくらいです。
ぼくが研究を始めた頃は年間の論文の数は20−30篇くらいで全然流行っていなかったのですよ。それが今や一日3篇から4篇は出版されるのですから…
J Cell Mol Med. 2011 Nov 3. doi: 10.1111/j.1582-4934.2011.01484.x.
これって結構重要な感じがします。だってGATA1とHIF-1ですよ。
Activation of the HIF Prolyl Hydroxylase by the Iron Chaperones PCBP1 and PCBP2
Cell Metabolism, Volume 14, Issue 5, 647-657,
これには驚きました。執念とも言えるかもしれません。
amazon.comに注文してた“1Q84”が今日到着しました。送料込みで$21.52です。
Kindle版で読んだのですがやっぱり本がほしかったんです。
装丁がいいです。
よくある表紙の写真ですがカバーを外すと
青豆と天吾。
こうです。
表紙をめくると
月が二つの1Q84です。
ちなみに,使われているFONTは今回は”Minion”です。ぼくのMacには入っていました。
当直明けで今ひとつ身体が日本の時間になれていない感じもありますが昨日は6時間は寝ました。
Natureに植物の低酸素感知に関する論文が二つ出ています。
Homeostatic response to hypoxia is regulated by the N-end rule pathway in plants
Nature (2011) doi:10.1038/nature10534
Oxygen sensing in plants is mediated by an N-end rule pathway for protein destabilization
Nature (2011) doi:10.1038/nature10536
N-end ruleに従う蛋白質の分解が重要な鍵を握る所など似通ったところがあるというのが不思議です。
ちなみにこれらの論文で云うhypoxiaとはほぼanoxiaの条件です。
Steve Jobs氏の伝記が昨日発売になりました。
原書と邦訳の価格の差が酷いなどなにかと話題です。(参照)
確かにひどい商売です。
ぼくはナイーブに翻訳を注文したのですが全然発送されないので怒って注文をキャンセルしてKindle版を買いました。幸いぼくの手に負える英語ですのでこれで最後まで読もうと思います。
翻訳と云えばGroopmanの”Your Medical Mind: How to Decide What Is Right for You“の翻訳,「医者は現場でどう考えるか」)が出版されたようです。
よい本だと思います。
ついでに,最新作Your Medical Mind: How to Decide What Is Right for Youも出たようです。
ぼくはGawande氏よりGroopmanの方が知性的だと思います。
もう一冊
House and Psychology: Humanity Is Overratedは面白いです。あの”House“を心理学的に解剖した本です。テレビ番組を見たことのない人は楽しめないと思いますけど…
GLSの熱血解説に聞き入る院生達@Welch Library in JHU
二週間ほど遅れてiOS5にupgradeしました。確かに便利になっていると思います。なるべく早く”4S”にしたいと思います。
1Q84
は今現在まだぼくのKindleには流れてきていません。
来週の火曜日に大学院の入学試験があるようです。受からないことには始まりませんので時間まで答案用紙に向かってください。
仕事の事を考えるのは止めようと思っていたのですが今日の午後になり体調が良くなってきたし某原稿へのコメントも全部集まったので原稿の書き換えをはじめてしまいました。
いろいろと言ってくれる人がいるというのは本当にありがたいことです。
知っている人の研究に対してあれこれ言うことほど決意のいることはありません。ありがとうございました。
30日の午後から 1Q84を読み始めました。
book1の扉での引用
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる
の意味がよく解ったような気がしました。
四年生の時小学校の教室で見つめ合い手を握りあった数秒間の交感の意味を信じて人生を送っている二人の愛の物語であり、一回でも確かに愛されたという経験があればその後の人生をその記憶を抱いて生きていけるという物語でもあります。
論文の作業をしながら、NHKが 2004年に放送したテレビ番組BSドキュメンタリー「史上空前の論文捏造」の再放送を見ました。
ヘンドリック・シェーンという若い科学者がnature, scienceなどを舞台に行った研究捏造の背景や顛末を当事者へのインタビューも交えて報告したものです。
番組はその後本にまとまったそうです。(論文捏造 )
この事件については聞いたことはありましたが他分野の出来事だったのであまり詳しく知りませんでした。番組をみてビックリしました。
そもそも誰も追試できないような研究はどこかで破綻するはずですから捏造の露見もあっけなく起こったようです。
日本でも作ってもいない knockout miceを使って論文を書いて某紙に掲載されたというスキャンダルがありましたが規模としては比較にならないくらい大きなものです。
この番組では、研究グループのリーダーも雑誌の編集部もこの問題での責任を明確に否定していました。
取材をうけた日本の研究者は研究グループのリーダーは責任をとって少なくともこの研究分野から身を引いてほしいとまで話していました。
誰も追試しないような研究、また誰にも引用されないような研究は露見しないという意味ではたちが悪いのでしょうが逆に何の影響も世の中に及ぼさないのですから問題としては小さいのでしょうか。科学者の倫理の問題としては等価なのでしょうが実際に問題になることは少ないですし問題になっても扱いは小さいしたいていはハラスメントとか学位の問題とカップルされた問題として現れます。
今日見たtweetがあります。(参照)
あるブログエントリーの紹介です。
すばらしいpublication listと引用回数ですね。こういう人はどんどん出世していくのでしょうか。
しかし論文引用回数って実際にどういう風に研究者の評価につながるんでしょうか。研究費や研究ポストの配分でもこのような観点が考慮されることは実際は少ないと思います。
要するに何百回引用される論文を書いてもぼくには何にもいいことは起こらなかったのです。
ぼくは本当は掲載誌のimpact factorや論文の引用回数で科学者を評価するやりかたには反対です。また産業化への転用可能性を強調する風潮にも反対です。
夏目漱石の「三四郎」で東京に出てきた三四郎が野々宮先生を研究室に訪ねる場面があります。
青空文庫から引用してみます。
野々宮先生は三四郎に
「昼間のうちに、あんな準備をしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線の圧力を試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……」
という説明をするのですが三四郎はいっこうに要領を得ません。結局、
丁寧に礼を述べて穴倉を上がって、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかんかんしている。暑いけれども深い息をした。西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂の上の両側にある工科の建築のガラス窓が燃えるように輝いている。空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の炎が、薄赤く吹き返してきて、三四郎の頭の上までほてっているように思われた。横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。その森も同じ夕日を半分背中に受けている。黒ずんだ青い葉と葉のあいだは染めたように赤い。太い欅の幹で日暮らしが鳴いている。三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ
「三四郎」は医学に入ってから読んだのですがこの場面は強烈に覚えていて良く思い出します。こういうことに関わったことのない人には研究室は一種の「穴倉」です。
手術室も一種の「穴倉」なのですがこれに関しては今日はパス。
要するに研究でも「愛」と「信じること」が重要なのだと言いたいのですがこれくらいで止めておきます。
ホント暗くなってきましたね。
朝起きて手術室で麻酔をしてその後研究室で時間を過ごす人生を、でも、もうしばらく研究続けますよ、ぼくは。
いよいよ「合唱」がはじまりました。
( #artsforall live at http://ustre.am/rBPl)