残暑は厳しいですが朝夕は涼しく特に朝は寒いくらいです。
一応夏休みです。
子供と家内がダンス大会に出かけて一人で特にすることがないので映画や撮りためたTV番組を観たりしていますがすることがなくなり論文の作業も並行して行っています。 休み明けには共著者に原稿を送って8月には投稿したいです。
NHKの戦争特集を観て考えた事
毎年この時期になると第二次世界大戦関連のドキュメントが各放送局で放送されます。 特にNHKは一年中戦争ドキュメントを放送していて録画して結局は観てしまいます。(戦争証言アーカイブス)
NHKでこの年の夏に放送されたもので観たものとしては,
などがありました。
「大和」の番組は3時間の長尺で番組中にミニドラマを含むものでした。 衝撃的で考えさせられたのは 戦場の軍法会議 ~処刑された日本兵~ でした。
概要を番組のページから引用します。
67年前の太平洋戦争末期、フィリピンやニューギニアなどの南方戦線で補給が断たれた日本軍に“異常事態”が起きていた。飢えに苦しみ、食糧を求めてジャングルをさまよった日本兵たちが、部隊を勝手に離れたとして「逃亡罪」で次々に拘束され、処刑されたのだ。しかし、当時の記録は、ほとんどが軍によって焼却されたため、その詳細は今まで明らかになってこなかった。 今回NHKでは、その内実に迫る貴重な資料を入手した。戦場で開かれた特設の「軍法会議」で兵士たちを実際に裁いた軍の元法務官が、密かに残した内部文書と14時間に及ぶインタビュー・テープである。兵士たちは、なぜ処刑されたのか。そこで語られていた元法務官の証言は、衝撃的だ。 軍紀を守るために厳罰を科し“見せしめ”を求めた軍上層部の意向で、本来なら死刑にならない罪でも兵士を処刑した、というのである。「法の番人」であるはずだった法務官たちは、なぜ、軍の上層部に抵抗し続けることができなかったのか。戦場で行われた軍法会議の実態を、ひとりの法務官の軌跡を追うことで明らかにし、戦争の罪を見つめる。
という番組です。
軍や政府は戦後,軍法会議の資料をほぼ全部焼灼処分として一種の証拠隠滅を図ったということですがある法務中佐が個人的に残した資料が発掘されその資料に基づきまた生存者の証言で当時の状況が再現されたというわけです。
罪名は「戦時逃亡」,「奔敵(自ら進んで敵軍に向け逃げ去り捕虜になること)」や「死体損壊(これは衝撃ですよね)」などが適応され,結論ありきの軍法会議であっても裁かれたのはよい方で,中には問答無用の銃殺というケースも多かったという事です。
悲惨なのは,残された遺族や親戚も一緒です。多くの場合地域に住むことができなくなり流れて行かざるを得ない,また遺族年金の支払いを拒否されるなどの事態に陥ったのだそうです。
しかしこのような体制は何も「戦時下」だけでなく現在でも続いています。
例えば手術室。
これは一種の「戦場」「鉄火場」であり,ある状況下では目の前の「患者」の心臓を動かし続けるということが目的となりその目的の為にあらゆるリソースを投入していくということになります。 その患者の心臓が動き続けるということがどのような意味を持つのかを考える事は目的の為の行動の遂行にはたぶん「有害」なこともあります。
ぼくはと言えば,これに「兵士」として戦闘に参加する場合もあるし,司令官として参加する場合もあります。
自分で怖いなと思うのはそのような状況ではそのように行動するのが自然なのでありそれを阻むものは無視して突撃して行くしか無いと考えてしまうことです。 さらに状況が似ているのはどのような状況であったかが問われることなしに「敗戦」に対して突如責任を問われることがある事です。警察が介入したりそうでなくとも自らは絶対安全圏にいる安全管理室による「軍法会議」が開かれたりします。ちょっと怖いですね。
このような状況を打開する-というか避ける-方法で一番簡単なのは「立ち去る」事だと思います。君子危うきに近寄らずが一番単純でかつ確実な方法です。 職場にとどまり状況を変える事はそう容易ではない選択です。しかしだからといって何か抵抗をしてみたいとは考えています。 つまり結局は本当の「戦争」では無いからだと思います。
理想を追求するなら病院のオーナーか最低でも院長にならないと駄目ですね。教授や部長でお茶を濁していいたらいつまでも理想は達成できないと思います。
読んだ本
夏休み用に本を買い込みました。
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医学部とすこし趣が異なりますし,たぶんかなりマイルドに脚色してあります。それでも知らない人には十分大学というのは不思議な世界だと思われると思います。
結果2012年に入社した社員のTOEICの平均点は800点を越えるようになっていたのだそうです。これってどれくらいできるということなのでしょうか。ぼくは受験したことがないので比較ができません。
文芸雑誌「新潮」に「the story of a day」という特集の一作として掲載された小説だそうです。戦争と言ってもだいぶ趣が異なります。
確かに中島みゆきの世界を小説にしたような感じですね。
「その日東京駅五時二十五分発」を読んだら以前読んだ「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」を思い出し探したら家で見つかったので読み直してみました。
終戦でも敗戦でもよいのですが戦争が終わると清清するのでしょうね。
映画「凱旋門」の台詞に確か「戦争が終わったらフーケで会おう」というものがあったと思います。 「靖国で会おう」というのでは悲しすぎます。
昨日の夜に書き出したのですが途中でやめてしまいました。
月曜日から今日までの作業で某論文のデータ整理がついてfigureもほぼ定まりました。
今週中にはsemi-finalまで持って行きたいです。
普段はテレビを全く見ません-テレビがないので-が週末は違います。
日曜日に「重力に逆らってまで~映画監督・西川美和が見た女子ウエイトリフティング~」というNHKで放送されたドキュメントの録画を見ました。
映画監督の西川美和さんが、ロンドン五輪を目指す女子ウエイトリフティングの選手たちに密着。重力にあらがい、鉄のバーベルに青春を賭ける姿を追った感動のドキュメント。
という触れ込みの番組です。
ウエイトリフティングという競技にはバレーやスケートのような「プロ」の制度はありません。オリンピックメダルが取れたりすると指導者として生き残る道はあるにせよ将来にわたって「職業」として成り立つかどうかが微妙な競技です。ロンドンオリンピックの出場権を獲得できなかったある選手は国内大会をキリに選手生活から退いてしまいました。
ぼくらのやっている基礎研究も同じようなものかもしれないと思いながら見ていました。
10年ほど前に某研究所の職員になってになって研究をすることが「仕事」になっていたときがあるのですがその時でも理事長に兼業許可をいただき-というか面接にいったらそうしてくださいと直々にご本人に言われましたので-麻酔を週に一回していました。
留学の直後で思い出しながら麻酔をしていたのですが結局は1年半くらいで研究所を辞めることにしました。
ここにはとうてい書くことができない事が主たる理由だったのですが辞めるということを正当化する材料の一つとして「このような生活をしていたら患者に申し訳ない」ということを考えました。
つまり,週に一回ほど麻酔をするようなぼくに麻酔をされる患者さんの気持ちになればこんな中途半端なことは辞めるべきだということです。
というような事を考えて,臨床と基礎研究が両立できるー少なくとも自分でそう考えられるー間は両立を目指し,それができなくなったと思ったときにはキッパリと基礎研究を止めようと考えました。
「命をかけて研究に取り組んでいる」ということをいう人がいますがそれは間違えです。別に研究がうまくいかなくとも自分は死なないし他人も死にません。職を失うかもしれませんがそれは「命をかけて研究に取り組んでいる」という事とは別の次元の話です。別に研究を軽視するつもりはありませんがそういうものだといっているだけです。
一方臨床は間違えたりうまくうまく行かなかったりすると患者が死んでしまうことがあります。ぼくは自分の命をかけて臨床に取り組んでいるわけではありませんが患者の命がかかっていることは事実です。
ついでにいうと大学院で基礎研究をすると論理的な思考が身につくというのも迷信です。ぼくらのような研究分野の生物学者が弄ぶような論理はそう複雑なものではないし臨床の現場でdecision makingの際に求められる論理の方がスピードが要求され難度も高いし高級なものです。といい切ってしまうと怒られるのでそうぼくは思っているという事にしておきます。
そう思ったのが約10年前でその時から何時止めようかと何百回も自分で考え続けてきました。
研究はよほど方法を誤るとかあり得ない作業仮説によらなければ論文などを出し続けることはさほど難しくありません。-それができない人は研究を続けられません。研究の遂行にはお金が必要で論文がゼロの人にお金をくれる人はいません。誰かに寄生して研究を続けるのはまた別の話です。-
その過程で「バント」で出塁しているような論文も出るし「二塁打」くらいにはなっていると自分で思える論文も出ます。そうなると牛の涎の様なもので切れ目が見えなくなってきます。ホームランを夢見ていますが現実的には無理なのでせめてランニングホームランになったらいいなと思って研究をしていますが「ホームラン」はなかなか出ません。
ドンと勝負してあっさり引くという勇気も無いのでどうしたものかといつも悩んでいます。
というような事をテレビを見て考えていました。
再放送があれば見てみてください。
米国の週刊誌「U.S.News & World Report」が毎年発表しているBest Hospitals 2012-13の結果が発表されています。
Johns Hopkins University HospitalはついにMassachusetts General HospitalにNO.1の座を明け渡しました。
かなり長きにわたって一番だったのに…
日本にも名医の紹介とか病院ランキングがありますけどあれもよく解りませんし米国でも一緒です。
でもJHU hospitalの職員は某K大病院の職員の少なくとも5倍は親切だったと思います。
ある出来事をきっかけにメーカーと麻酔器を使って現象の再現を試みました。
自分は麻酔器を完全に理解していたわけでは無かったことに気付きました。その意味では自分にとって得るところがありました。
水曜日の当直の後からなんか熱っぽい状態が続いていたのですが高熱には至らず結局昨日の午後から家にこもることで何とか症状は寛解しました。
妙な緊急手術などで急に交感神経が緊張したりすると体調に悪影響が出るようです。
録画してあったNHKのドキュメント「日本人は何を考えてきたのか」をまとめて見ました。
田中正造と南方熊楠の二人は「坂の上の雲」の対極にいるような人達だという中沢新一さんのコメントに同意。
この番組を見ていて思い出して「社会は絶えず夢を見ている」を再読しました。
この本のテーマというかキーワードの一つは「第三者の審級」です。
特に第三講ーこの本は大澤氏の講義録というような体裁を採っていますー「リスク社会の(二種類の)恐怖」はぼくにとっては重要な論考が展開されている章です。
これは患者と医療提供者との関係にも拡張して考える事ができると思ってそこら辺を考察してみようとおもっていたのですがネットを調べるとすでに大澤氏本人による考察が存在しました。あまりにも見事な論考なので紹介します。
医療についての論考の部分の冒頭を引用してしてみます。
リスク社会においては、第三者の審級が、二重の意味で――つまり本質と現実存在の両方に関して――撤退している。しかし、人はこの事実を否認しようとしている。現代社会には、「第三者の審級の二重の撤退」を示す徴候が、至るところに――とりわけ科学にかかわる領域に――見出される。
そうした徴候の一つとして、医療の分野における「インフォームド・コンセント」の流行を挙げることができるだろう。インフォームド・コンセントとは、医者が患者に手術などの医療措置について、その効能や危険性についてよく説明した上で、患者から同意を得ることである。インフォームド・コンセントは、どのような治療を採用するかを、最終的には患者自身に選ばせることだと解釈することができる。これ自体は、たいへん結構なやり方だ。
しかし、どうして、ことあらためて、こうしたことが推進されなくてはならなくなったのかを考えてみれば、われわれは、ただちに、これが第三者の審級の不在に対する対抗手段であることに気が付く。
現代医療を支配しているのは統計・確率の考え方だと思っています。evidence-based medicineの本質は統計・確率でしょう。臨床の医療行為はある意味では「シュレーディンガーの猫」が入っている箱を実際に開けるようなものです。このような現代医学は,患者とまたそれを提供している医師にとって「ほんとうの第三者の審級」として絶対的に君臨することはありません。どんな名医であっても原理的には「ほんとうの第三者の審級」の視点を提供できないのです。
「人は永遠に生きることはできない」という事実はすべての人間が共有している考えだとぼくは思いますが,患者はもちろん医者の中にも「人は永遠に生きることができる」という妄想というか言葉が悪ければ根拠のない希望を抱くものがあることが現代医療の抱えている根本問題の一つだとぼくは考えています。しかし同時にそのような希望を持つことは間違ってはいません。だからこそ現代医療の抱える問題が単純な処方では解くことのできないアポリアなのでしょう。
また医療はリアルな臨床の行為で有りその問題点をある視点から考えたと言っても実際に存在する問題が解ける訳ではありません。このような事情を無視した「安全管理室」的な発想が医療現場を蹂躙しつつあることに憤りを感じますー今日はこれが言いたいだけだったのですー。
ヘーゲルはナポレオンがイェーナに入場する姿をみて「世界精神が馬に乗って通る」と言ったそうですが,確かにこのような時代にはある種の「独裁者」が人心をつかむ局面があると思います。よいか悪いかはぼくは知りません。
2-hydroxyglutarate detection by magnetic resonance spectroscopy in IDH-mutated patients with gliomas
Nature Medicine (2012) doi:10.1038/nm.2682
これすごいですよ。